マット・マートン
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マット・マートン
Matt Murton
阪神タイガースでの現役時代
(2012年8月17日、明治神宮野球場
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地フロリダ州フォートローダーデール
生年月日 (1981-10-03) 1981年10月3日(42歳)
身長
体重6' 1" =約185.4 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
プロ入り2003年 ドラフト1巡目補完(全体32位)
初出場MLB / 2005年7月8日
NPB / 2010年3月26日
最終出場MLB / 2009年10月4日
NPB / 2015年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


イーグルズ・ランディング高等学校

ジョージア工科大学

シカゴ・カブス (2005 - 2008)

オークランド・アスレチックス (2008)

コロラド・ロッキーズ (2009)

阪神タイガース (2010 - 2015)

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マシュー・ヘンリー・マートン(Matthew Henry "Matt" Murton, 1981年10月3日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州フォートローダーデール出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。
概要

2010年から2015年までは、NPB阪神タイガースに在籍。6シーズンにわたる在籍は、ウィリー・カークランドランディ・バースと並んで球団の歴代外国人野手最長である[注 1]。また、NPBの一軍公式戦における阪神在籍中の通算出場試合数(832試合)・通算安打数(1020安打)はいずれも、阪神の歴代外国人選手としての単独最多記録。2010年の一軍公式戦で記録したシーズン214安打は、当時のNPBシーズン最多安打記録で、現在でもNPBの右打者、外国人選手およびセントラル・リーグのシーズン最多安打記録に当たる[注 2](いずれも2023年シーズン終了時点)。

阪神へ入団する前には、MLBシカゴ・カブスでプレー。現役引退後の2018年から2019年まで、カブスのベースボール・オペレーション補佐を務めていた。
経歴
プロ入りとレッドソックス傘下時代

2003年ドラフト1巡目でジョージア工科大学からボストン・レッドソックスに入団[1]
カブス時代カブスでの現役時代
(2007年)

2004年に4チームが絡むトレードにより、ノマー・ガルシアパーラと共にシカゴ・カブスへ移籍した。

2005年7月8日の対フロリダ・マーリンズ戦でメジャーデビュー。このデビュー戦では、のちに阪神でチームメイトとなるランディ・メッセンジャーがマーリンズの2番手投手として登板し、2打席対戦して右犠飛と右二塁打を放った。このシーズンは打率.321, 7本塁打、14打点OPS .908という好成績を残した。特に左投手に対しては打率.380と結果を出した。

2006年左翼手として開幕スタメンを勝ち取り、初打席で本塁打を放つなど3安打と幸先の良いスタートを切った。7月以降の打率は.330と好調を維持し、8月3日には4打席4安打(4二塁打)5打点の1試合最多二塁打記録を樹立。この年はメジャーに定着し、144試合出場でチームトップの打率.297, 13本塁打、62打点、OPS .809の成績を残した。カブスでは人気選手の一人となり、球場内にはマートンの特徴である赤毛の髪を真似たカツラを付けているファンが多く現れた。

2007年アルフォンソ・ソリアーノクリフ・フロイド両外野手がカブスにFA移籍。この年のチーム方針が長打力アップだったため、巧打者タイプのマートンはレギュラー争いに敗れ、打率.281と安定していながらも得点圏打率が.186と低迷したこともあってメジャーでの出場機会を失い、マイナー落ちも経験。94試合の出場にとどまった。3Aでは打率.331, 8本塁打、27打点、OPS .977だった。

2008年はメジャーで結果を残すことができず、マイナーリーグで過ごす日々が続いた。
アスレチックス時代

2008年7月にリッチ・ハーデンチャド・ゴダーンとのトレードで他3選手と共にオークランド・アスレチックスへ移籍したが、アスレチックスでも9試合で30打数3安打で本塁打0と結果を残すことができなかった。結局、この年のほとんどを3Aで過ごし、86試合で打率.290, 2本塁打、28打点だった。
ロッキーズ時代

2009年2月4日にコーリー・ウィンバーリーとのトレードでコロラド・ロッキーズに移籍。この年はメジャー26試合出場で打率.250, 本塁打1本だった。3Aでは海抜1,839 mにある本拠地の利点を生かして97試合で打率.324, 12本塁打、79打点、OPS.888と活躍したが、他の外野手がメジャーで好調だったため、機会に恵まれずこの年はマイナーでシーズンを終えた。
阪神時代

2009年のシーズン終了後に、阪神タイガースが獲得に向けて交渉を開始、12月7日にロッキーズから保有権を譲渡された[2]ことを受けて、同月12日に入団を発表した。契約金5000万円・年俸1億円(金額は推定)の1年契約で、2年目の契約については、球団側が選択権(オプション)を保有。背番号は9。試合中の大怪我で引退した赤星憲広の後を継ぐ「1番・中堅手」候補として獲得に至った[3]

2010年、不慣れな中堅守備などの影響で、春季キャンプ中には野球評論家から酷評された[4]。しかし、オープン戦では鳥谷敬に次いでチーム2位の打率.352, 先頭打者本塁打2本の成績でシーズンを迎えた。3月26日にNPB初出場し、開幕後も5試合連続安打、15試合連続出塁と好調を維持。3月30日の対広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)ではNPB1号となる場外本塁打を放ち[5]、阪神の1年目外国人選手としては50年ぶりのオールスターゲームに監督推薦で出場した。後半戦はオールスターを挟んで前半戦から通算で5試合安打が出なかったが、最終的にシーズンを通して2試合以上安打が出なかったのはこの1回限りで、以降はこれまでと同じように安打を量産していった。9月5日の対広島戦の8回表一死二塁から、この日3本目の安打となる中前適時打を打ち、NPB1年目の外国人史上最多となるシーズン175安打を記録[6]し、9月16日の対横浜ベイスターズ戦の8回に加賀繁から、藤村富美男の球団記録に並ぶシーズン191安打を記録[7]。9月18日にはシーズン194安打と球団記録を更新すると共にシーズン安打歴代5位の記録となり、マルチ安打も60度目と球団新記録となった[8]。9月19日の対読売ジャイアンツ戦で球団新記録となるシーズン22回目の猛打賞を記録[9]


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