マット・ニール
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マット・ニール
2017年のイギリスツーリングカー選手権 ノックヒルにて
基本情報
国籍 イギリス
生年月日 (1966-12-20) 1966年12月20日(57歳)
出身地 イングランド・スタウアブリッジ
イギリスツーリングカー選手権での経歴
デビュー1991
所属ハルフォース・ユアサ・レーシング
車番25
過去所属VX・レーシング
プジョー・スポーツUK
チーム・マツダ
テック-スピード モータースポーツ
ピラミッド・モータースポーツ
出走回数693
優勝回数63
ポールポジション17
ファステストラップ52
シリーズ最高順位1位 (2005, 2006, 2011)
過去参加シリーズ
2001
1993ETCC
DTM
選手権タイトル
2005?06, 2011BTCC
受賞
BRDC Silver Star

マット・ニール(Matthew Neal、1966年12月20日 - )は、イギリスのレーシングドライバーである。
人物

イギリスツーリングカー選手権(BTCC)での活躍で知られており、2005年と2006年及び2011年にチャンピオンを獲得。このレースでトリプルチャンピオンを獲得したドライバーの1人。

彼は、自動車メーカーのサポートを受けないインディペンデント(プライベーター)チームから長い間参戦していた事でも知られ、合計6度のインディペンデント部門のタイトルを獲得。1999年に日産・プリメーラを駆って初優勝を成し遂げた。

父親のスティーブによって設立された合金ホイールのメーカーであるリムストックのグループマーケティングディレクターとしての一面も持つ[1]
キャリア
キャリア初期

スタウアブリッジ生まれ。モトクロスでレースキャリアをスタートし、1988年にフォードフィエスタXR2iカテゴリーでドライブ。彼は1990年と1991年に英国のグループNチャンピオンを獲得[2]。彼はまた、BMW・M3で1990年にスネッタートン・サーキットで行われた、ウィルシャー24時間レースを制した。1991年からイギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦を始めた。
イギリスツーリングカー選手権(1991?2001)ニールは1999年にこのプリメーラをドライブし、初優勝を飾った。2006年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードホンダ・インテグラのデモ走行を行うニール。

ニールは、 1991年シーズンの シルバーストーン大会から、ピラミッド・モータースポーツのBMW・M3で、BTCCデビューを果たした。 1992年も自身の父親が運営する、チーム・リミストク(チーム・ダイナミックスに翌年から変更)から参戦した。

彼は1993年にメーカーのサポートを受けないドライバーが対象のインディペンデントタイトルを獲得。1994年には、マツダのセミ・ワークスチームからクセドス6(日本名:マツダ・ユーノス500)で参戦。しかし、シルバーストンでのレースで、チームメイトのデイビッド・レズリーとボクスホールのクリス・グッドウィンと接触し、横転する大きなクラッシュを負ってしまった。ニールは以降のレースを欠場し、マツダもシーズン半ばで撤退してしまう。1995年シーズンは、再びダイナミックスからフォード・モンデオで参戦。2回目のインディペンデントのタイトルを獲得した。1997年シーズン途中から日産・プリメーラに乗り換え、1999年にはドニントンパークで他のワークスドライバーを抑えて前年型プリメーラで初優勝を記録[3]。この年も自身3度目のインディペンデントタイトルを獲得し、翌年も前年タイトルを獲得した日産ワークスが不在の中、ブランズ・ハッチ戦では、ホンダのトム・クリステンセンとフォードのリカルド・リデルと優勝争いを演じ、再び優勝を飾る。この年も4度目のインディペンデントのタイトルを獲得した[4] [5]。2001年シーズンはヨーロッパツーリングカー選手権に参戦することになり開幕戦のみ、プジョーチームから参戦した。また同年のBTCCは大幅なレギュレーション改定がなされている。
ヨーロッパツーリングカー選手権(2001)

BTCCの開幕戦に参戦後、ニールはRJN・モータースポーツからヨーロッパツーリングカー選手権のスーパーツーリングカテゴリにエントリーした。マシンはBTCCでもドライブした、日産・プリメーラ。第5戦のマニクール戦から参戦を開始。ニールは266ポイントを獲得し、ランキング14位となる。また最終戦のエストリル・サーキットで優勝を飾った。
BTCCに復帰(2002?2003)。

2002年にBTCCに復帰。ニールはポール・オニールと一緒にボクスホール・アストラクーペをドライブする。チームはデレック・ワーウィック率いるエッグ・モータースポーツ。145ポイント獲得することに成功し、チームメイトを上回るシリーズ3位を獲得。2003年は、アリーナ・インターナショナルからホンダ・シビックでチームメイトのアラン・モリソントム・チルトンと共に参戦。この年もシリーズ3位を獲得した。
チームダイナミクスに戻る(2004?2007)ニールは2006年に 2回目のBTCCタイトルを獲得した。ニールは、 2007 BTCCシーズンに スネッタートンでチームハルフォーズが運営するホンダ・シビックを運転しました。

ニールはチームダイナミクス(現在のスポンサーはハルフォード)に再加入し、ドライバーズランキング全体で5位、インディペンデントランキングでは、4位となった。

2005年にチームはホンダ・インテグラを独自に開発。インディペンデントチームながら、他のワークスチームに対抗した。この動きは長い歴史を持つBTCCでも、非常に珍しい事だったが、ニールはブランズ・ハッチでドライバーズタイトル獲得を決め、全30戦でポイントを獲得することに成功している。 またこの年のダイナミクスは、チーム部門のタイトルも獲得し、2000年以来5度目のインディペンデントタイトル獲得となった。

2006年もニールのインテグラは高い完走率を保持し、BTCCを2年連続で制すことに成功。チーム部門とインディペンデント部門のタイトルも合わせて、3冠を達成した。

2007年は、マシンをホンダ・シビックに変更して望んだが、この年はセアトボクスホール勢のタイトル争いとなり、タイトル争いもファブリツィオ・ジョヴァナルディジェイソン・プラトが最終戦まで争い、ジョヴァナルディがシリーズタイトルを獲得。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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