マット・ケイン
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マット・ケーン

マット・ケイン
Matt Cain
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地アラバマ州ドーサン
生年月日 (1984-10-01) 1984年10月1日(39歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2002年 ドラフト1巡目(全体25位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名
初出場2005年8月29日
最終出場2017年9月30日
年俸$20,833,334(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ヒューストン高等学校

サンフランシスコ・ジャイアンツ (2005 - 2017)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

マシュー・トマス・ケイン(Matthew Thomas Cain, 1984年10月1日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州ドーサン出身の元プロ野球選手投手)。プロ生活をMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ一筋で通した[2]。ニックネームは「The Horse」[3]
経歴

2002年MLBドラフト1巡目(全体25位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、8月29日に契約。ルーキー級アリゾナリーグ・ジャイアンツで8試合に登板し、0勝1敗、防御率3.72だった。

2003年はA級ヘイガーズタウン・サンズで14試合に登板し、4勝4敗、防御率2.55だった。

2004年はA+級サンノゼ・ジャイアンツとAA級ノーウィッチ・ナビゲーターズでプレー。合計で13勝5敗、防御率2.67、161奪三振を記録し[4]、球団のマイナーリーグ最優秀選手に選出される[5]。シーズン終了後ベースボール・アメリカ誌のプロスペクトランキングにおいてチーム内で1位の評価を受けた[6]

2005年はAAA級フレズノ・グリズリーズでプレーし、パシフィックコーストリーグでリーグ最多の176奪三振を記録。8月26日にジャイアンツとメジャー契約を結び[7]8月29日コロラド・ロッキーズ戦で20歳10ヶ月の若さでメジャーデビュー。9月9日シカゴ・カブス戦で2安打1失点で完投勝利を挙げ、球団の最年少記録を更新[8]。2勝1敗、防御率2.33、先発した7試合の内6試合で2失点以下と好投した[8]

2006年3月2日にジャイアンツと1年契約に合意[9]。開幕から先発ローテーション入りし、最初の7試合で1勝5敗、防御率7.04と打ち込まれるが、5月21日のオークランド・アスレチックス戦で1安打に抑えてメジャー初完封勝利を挙げた[10]6月19日ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦では初回に1点を失うものの8回二死まで無安打に抑える[11]など高い素質の片鱗を見せた。最終的にチームトップの13勝(12敗)、防御率4.15、179奪三振、リーグ3位の被打率.222を記録するが、制球に難があり好不調の波が大きかった[12]ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では5位に入った[13]

2007年3月1日にジャイアンツと総額900万ドルの4年契約(2011年・625万ドルの球団オプション付き)を結んだ[14][15]。4月9日のサンディエゴ・パドレス戦で6回までノーヒットに抑え、7回を1安打1失点ながら敗戦投手[16]となるなど打線の援護に恵まれず、7月末まで3勝12敗[17]。8月に4勝を挙げるものの、9月15日のパドレス戦で6回を1安打1失点ながら再び敗戦投手[18]。ランサポート(登板時の平均援護点)が3.20とリーグワースト[19]で、自身初の200イニング、防御率3.65ながらリーグワースト2位の16敗(7勝)を喫した。

2008年はリーグ最多の34試合に先発し防御率3.76、186奪三振を記録するが、ランサポートが前年より更に低下して2年連続リーグワーストの3.12[20]で8勝14敗に終わる。打線の援護に恵まれないことに対し「僕が投げる時だけわざと打たないわけではない」と発言している[21]

2009年は開幕から好調で5月7日から7連勝を記録[22]するなど前半戦で10勝を挙げ、オールスターゲームに初選出される。7月までに12勝を記録するが、以降は2勝6敗、防御率4.29と調子を落とす[22]。それでも14勝8敗、防御率2.89、リーグ最多の4完投を記録した。ランサポートは4.25で前年より1点以上上昇した。

2010年3月28日にジャイアンツと総額2625万ドルの3年契約[23]を結んだ[24][25]。5月28日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で、マーク・レイノルズに打たれた二塁打と死球のみで1安打無四球完封勝利[26]。13勝11敗、防御率3.14を記録し、チームの10年ぶりの地区優勝に貢献。自身初のポストシーズンとなったアトランタ・ブレーブスとのディヴィジョンシリーズでは第2戦に先発し、7回途中1失点(自責点0)の好投も勝敗付かず。フィラデルフィア・フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズの第3戦に先発して7回無失点で勝利投手[27]となり、チームは8年ぶりのリーグ優勝。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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