マックス・ローチ
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マックス・ローチ
Max Roach
マックス・ローチ
基本情報
出生名Maxwell Lemuel Roach
生誕1924年1月10日
出身地 アメリカ合衆国 ノースカロライナ州
死没 (2007-08-16) 2007年8月16日(83歳没)
ジャンルジャズ
職業ドラマー作曲家
担当楽器ドラムスパーカッション
活動期間1944年 - 2002年
レーベルデビュー・レコード
エマーシー・レコード
キャンディド・レコード
インパルス!レコード
コロムビア・レコード
ブルーノート・レコード
共同作業者コールマン・ホーキンス
チャーリー・パーカー
チャールス・ミンガス
クリフォード・ブラウン
アビー・リンカーン
ン・ブーム

マックス・ローチ(Max Roach、1924年1月10日 - 2007年8月16日)は、アメリカ合衆国出身のジャズドラマーケニー・クラークと並んで、最も早い時期からビバップのスタイルで演奏していたドラマーとして知られる[1]
来歴
誕生?1940年代

アメリカ合衆国ノースカロライナ州ニューランド生まれ。母はゴスペル歌手であった[2][1]。4歳の時にブルックリンに移り、8歳になると近所のバプティスト教会ピアノを習い始める[3]。そして、10歳の頃にはゴスペル・バンドでドラムを叩いていた[1]

18歳までには、ミントンズ・プレイハウスやモンローズ・アップタウン・ハウスといったジャズ・クラブで、ビ・バップのさきがけとなったジャム・セッションに参加するようになり、チャーリー・パーカーディジー・ガレスピーと共演を重ねたり、ケニー・クラークの演奏を聴いて影響を受けたりしていた[2]

1943年コールマン・ホーキンスのグループで活動。1945年から1953年にかけては、チャーリー・パーカーの多くの録音に参加した。この時期には、ディジー・ガレスピーやマイルス・デイヴィス等の録音にも参加している。
1950年代

1952年、チャールス・ミンガスと共にデビュー・レコードを設立[2]。1953年には、ローチにとって初のリーダー・アルバム『The Max Roach Quartet featuring Hank Mobley』をハンク・モブレーウォルター・デイヴィス・ジュニア等と共に録音して[4]、デビュー・レコードから発表。

また、1953年5月15日には、トロントのマッセイ・ホールでチャーリー・パーカー、バド・パウエル、ディジー・ガレスピー、チャールス・ミンガスと共演。この時の演奏は、ビ・バップのオールスター・アルバムと言える『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』としてレコード化されている。

1954年春、クリフォード・ブラウンと共に双頭クインテットを結成。その結成に先立ち、ローチはブラウンの演奏を確認するためバードランドに足を運び、当時ブラウンが在籍していたアート・ブレイキーのクインテットのライヴを見ていたという[5]。しかし、ブラウンとのクインテットの人気が高まっていた1956年6月、ブラウンとメンバーのリッチー・パウエルが自動車事故で死去してしまう。そのため、ブラウンとの双頭クインテットは短命に終わり、ショックを受けたローチは酒に溺れていた時期もあったという[6]

1956年から1957年にかけて、ケニー・ドーハムソニー・ロリンズ等と共に録音されたリーダー・アルバム『ヴァルス・ホット?ジャズ・イン3/4タイム』は、全曲ともワルツのリズムとなっており、音楽評論家のスコット・ヤナウallmusic.comにおいて「これらの優れた演奏は、必ずしも4分の4拍子でなくともジャズがスウィングできることを示している」と評している[7]。1957年10月には、後にローチの妻となる歌手アビー・リンカーンのアルバム『ザッツ・ヒム!』に参加した。
1960年代

1960年、ローチとチャールス・ミンガスは、ニューポート・ジャズ・フェスティバルにおけるジャズメンの扱いに対して異議を表明するため、同じロードアイランド州ニューポートで、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに対抗したジャズ・フェスティバルを開催する[6]

同じ1960年8月31日から9月6日には、公民権運動に関わっていた詩人/歌手のオスカー・ブラウン・ジュニア(英語版)の詩を取り上げて、アメリカ白人による人種差別に抵抗したアルバム『ウィ・インシスト』を録音。同作にはアビー・リンカーンコールマン・ホーキンスブッカー・リトル等が参加しており、音楽的には4分の5拍子が多用されている[8]。音楽評論家のMichael G. Nastosは、allmusic.comにおいて『ウィ・インシスト』を「1960年代のアフリカ系アメリカ人の抗議運動において重要な作品であり、そのメッセージや強靭さは、なおも意義を持ち続けている」と評している[8]。この録音に参加したメンバーの多くは、1961年2月にアビー・リンカーンのアルバム『ストレート・アヘッド』の録音に参加した。

1962年9月には、チャールス・ミンガスと共に、デューク・エリントンのアルバム『マネー・ジャングル』の録音に全面参加。音楽評論家のKen Drydenは、allmusic.comにおいて同作を「歴史的なトリオ」「このセンセーショナルなレコーディング・セッションは、すべてのジャズ・ファン必携」と評している[9]

私生活では、1962年にはアビー・リンカーンと結婚するが、1970年に離婚[2]
1970年代以降


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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