マックス・ニューマン
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マックス・ニューマン

生誕Maxwell Herman Alexander Neumann
1897年2月7日
イギリスロンドンチェルシー
死没1984年2月22日 (満87歳没)
イギリスケンブリッジシャー州、ケンブリッジ
国籍 イギリス
研究分野数学
研究機関ケンブリッジ大学
マンチェスター大学
出身校ケンブリッジ大学
主な業績Elements of the topology of plane sets of points (1939)
Heath Robinson(暗号解読機)
ブレッチリー・パークのNewmanry部門
プロジェクト:人物伝
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マクスウェル・ハーマン・アレグザンダー・ニューマン(: Maxwell Herman Alexander Newman、1897年2月7日 - 1984年2月22日)はイギリス数学者暗号解読者。通称はマックス・ニューマン (Max Newman)。第二次世界大戦中は電子計算機Colossusの構築につながる仕事をし、マンチェスター大学で王立協会計算機研究所を創設し、同研究所で1948年に世界初のプログラム内蔵式電子計算機であるManchester Small-Scale Experimental Machineが生まれた[1]
経歴
前半生

1897年2月7日、イングランドロンドンチェルシーで生まれる。なお、生まれたときの姓はドイツ名の Neumann (ノイマン)だった[2]。父ハーマン・アレグザンダー・ニューマンはドイツのブロンベルク(現在のポーランド ブィドゴシュチュ)出身でユダヤ系であり[3]、15歳のときに家族と共にロンドンに移住した[4]。父はある会社で秘書として働き、イングランド人教師のサラ・アン(・パイク)と1896年に結婚。1903年、一家はロンドン郊外のダルウィッチに引越し、マックスは Goodrich Road school に入学。1908年には City of London School に進学した[5]。1915年、奨学金を得てケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ(英語版)で数学を学ぶようになり、翌1916年には Mathematical Tripos のパートIで首席となった[2]

第一次世界大戦が勃発したため、一時期勉強できなくなった。戦争が始まった1914年、父は敵性外国人として強制収容所に入れられ、解放と同時にドイツに送還された。1916年、マックスは姓を英語化した Newman(ニューマン) に変更し、母親のサラも1920年に同様に変更した[6]。国民兵役 (national service) として、ヨークの Archbishop Holgate's Grammar School で教師として働き、陸軍補給部隊で働き、さらに Chigwell School でも教師として働いた[4]。1918年2月、兵役 (military service) で召集されたが、父親のこともあって良心的兵役拒否を主張し、直接戦闘に関わる任務にはつかなかった[7]

1919年10月、大学に復帰し、1921年には Mathematical Tripos のパートIIを首席で合格し、Schedule B(パートIII相当)の栄誉を与えられた[2][4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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