マヂカルラブリー
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マヂカルラブリー
デジタル庁主催の「デジタルの日」イベントでのマヂカルラブリー(2021年)。左が野田、右が村上。
メンバー野田クリスタル
村上
別名マヂラブ
結成年2007年
事務所吉本興業
活動時期2007年2月 -
出身インディーズ
出会い野田クリスタルのライブを見た村上からの声掛け[1]
旧コンビ名セールスコント、役満(野田)
シーン(村上)
旧トリオ名コバヤシーン(村上)
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種漫才コント
ネタ作成者野田クリスタル
現在の代表番組テレビ
有吉の壁
それゆけ!大宮セブン
チャント!
ヒルナンデス!
ラジオ
マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0(ZERO)
過去の代表番組マヂカルクリエイターズ
同期野田
尾形貴弘パンサー
スリムクラブ
銀シャリなど村上
ジャングルポケット
ジェラードン
見取り図など
公式サイト公式プロフィール
受賞歴
2020年 M-1グランプリ2020 優勝
2021年 第6回上方漫才協会大賞 話題賞
2021年 GQ MEN OF THE YEAR ベスト・コメディ・デュオ賞
2021年 LINE NEWS AWARDS タレント部門賞
2021年 DIMEトレンド大賞 話題の人物賞
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マヂカルラブリーは、吉本興業東京本社に所属するお笑いコンビ。略称「マヂラブ」[2]大宮ラクーンよしもと劇場の専属芸人「大宮セブン」の一角を担う。M-1グランプリ2020王者[3]キングオブコント2018・2021ファイナリスト。
メンバー
野田 クリスタル(のだ クリスタル、本名:野田 光〈のだ ひかる〉、
1986年昭和61年〉11月28日 - ) (37歳)
ボケ(一部ネタではツッコミ)・ネタ作り担当、立ち位置は向かって左。神奈川県横浜市南区六ツ川出身。神奈川県立六ツ川高等学校(現・神奈川県立横浜国際高等学校)卒業。身長179.7cm、体重77.3kg[4]血液型A型。詳細は「野田クリスタル」を参照
村上(むらかみ、本名:鈴木 崇裕〈すずき たかひろ〉、1984年〈昭和59年〉10月15日 - )(39歳)
ツッコミ(一部ネタではボケ)担当、立ち位置は向かって右。愛知県新城市(旧南設楽郡鳳来町)出身[5][6]東京都杉並区高円寺在住[7]愛知県立新城東高等学校(現・愛知県立新城有教館高等学校)、法政大学文学部卒業[8]。身長182.1cm、体重105kg。血液型O型。詳細は「村上」を参照
来歴
「マヂカルラブリー」結成まで

2002年、野田は中学を卒業して間も無い15歳で同級生とコンビ「セールスコント」を組みインディーズ劇場での活動や、『学校へ行こう!』(TBSテレビ)の「お笑いインターハイ」において参加者約5,000人の中で優勝、翌年にはインターネットの相方募集掲示板で知り合った相方とコンビ「役満」を結成[1]、16歳で吉本所属のプロとなりM-1グランプリでは3回戦進出。その後、ピン芸人として地下ライブで活動していた。

また、村上は法政大学のお笑いサークル・HOS(5期)出身で2005年2006年に『大学お笑い日本一決定戦』で連覇するなど[9][10]、学生芸人として活動していた[注 1]。その後は就職活動で相方2人の就職が決まったものの村上だけは就職できず、そのまま流れでお笑いを続けることになった。学生時代はマスコミ志望でフジテレビ等を受験していた。

村上が所属していたお笑いサークルがアングラ気質だったため、面白いと噂の地下芸人のカリスマ・野田のことは彼が18歳の時から一方的に知っており、学園祭にも呼んでいた[11]。当時の野田は東京の地下芸人に憧れて客が笑わないお笑いを追求していた最中で「スベるのは面白いからだ」と自己解釈し、観客からの笑い声がなくても野田は意に介さなかったものの学園祭側ではスベり過ぎて問題となり、実行委員の一員だった村上は「あれ呼んだの誰だ?」と周りから責められた。「キングオブフリー」というインディーズ芸人ライブを村上が観に行った際にたまたま野田が出演しており、「面白すぎる」「僕と組めばいけるんじゃないか」と思ったという。2007年2月、大学卒業を機にプロの芸人になろうと相方を探していた村上が石橋哲也(元カオポイント)に相談したところ、偶然にも野田を勧められた[11]。村上は知り合い伝手に「コンビを組みたがっている奴がいる」とだけ前もって伝えてもらい、野田のライブの出待ちをして声を掛けそのままコンビ結成に至った[11][12]。コンビ名の由来は2人とも巨漢で男臭かったため、コンビ名くらいは可愛くしようとお互いに一番可愛いと思う単語を出し合った所、「マジカル」と「ラブリー」であったことから[13]。コンビ名を「マジカル」ではなく「マヂカル」とした理由は、「ネットで検索した時に上位に来る」のを期待してと述べている[14]
結成後

結成後は「LIVE疾風迅雷」などのインディーズ・ライブで毎回のように優勝を収めるなど好成績を残し、マヂカルラブリーとして吉本興業へ所属する。野田は役満時代から吉本に籍を残していたため、村上のみがこのタイミングで吉本へ所属した形になる。また当時吉本の若手芸人達が出演していたAGEAGELIVEに出場し、約半年ほどでレギュラー組に昇格する。しかしNSC出身でないことから劇場にはなかなか出られず、2015年に大宮ラクーンよしもと劇場の専任になってからはライブの数が増えていった[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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