マダムケロコ(1952年9月14日 - )は、日本のラジオパーソナリティーである。本名:本告節子(もとつぐ せつこ)、旧姓:名郷根[1]。 北海道出身、旭川市在住。北海道札幌東高等学校、北星学園大学出身[2]。 1973年、HBCラジオにてジャンボ秀克との番組「ジャンボミュージックナイター・ジャンボ&ケロコのHBCベスト100マラソンランキング」でデビュー。当時の芸名はHBCの鈴木ディレクターが命名した「ケロコ伊藤」[1]。当時体重35kgで[3]カエルに似ているという理由でこう名付けられた[4][5]。デビューしたばかりの頃は「北海道の研ナオコ」と言われたこともあった[6]。以後10年間HBCラジオでパーソナリティーを務める。その後結婚して現在の芸名に改名し、1983年旭川市に移住[7]。現在はFMりべーるパーソナリティー。2003年にリリースした曲「主人の母でなかったら・・。」は義母の介護経験をテーマにし、「大沢悠里のゆうゆうワイド」(TBSラジオ)で話題となった[8]。音楽グループLEGENDのファンで、ライブやディナーショーがあるときは札幌まで見に行ったり、自身の番組で何度も曲をかけている。2015年よりFMりべーる取締役。 家族は、夫と東京で働いている娘がいる。身長154cm [9]。
来歴・人物
出演
現在
マダムケロコのちょっと長話(FMりべーる 月 - 水 10:00 - 12:00 生放送、木 - 金 10:00 - 11:00 録音放送。1998年4月 -)
カーナビラジオ午後一番!(HBCラジオ 月曜のコミュニティFMコーナーのFMりべーる担当として不定期で電話出演)
過去
ジャンボミュージックナイター・ジャンボ&ケロコのHBCベスト100マラソンランキング (HBCラジオ 1973年10月 - 1983年3月のナイターオフ期、2012年3月17日)
山ちゃん美香の朝ドキッ! (HBCラジオ 2012年1月12日)
ウィークエンドGO!GO! (HBCラジオ 1976年10月9日 - 1984年12月29日)
連載
ケロコの介護日誌(『フィットあさひかわ』2000年3月号-2003年1月号)
ケロコのまた、言ってしまった(『フィットあさひかわ』2008年5月号-)
書籍
ケロコの介護日誌(2002年)
CD
主人の母でなかったら・・。(日本クラウン2003年12月3日)
出典[脚注の使い方]^ a b 『ラジオライフ』第2巻第2号、三才ブックス、1981年3月1日、18頁。
^ “本告 節子 ケロコ
^ 北海道放送三十年(北海道放送社史編纂委員会 編、1982年9月発行)370?371頁
^ 明星(集英社)1980年4月号「ラジオDJ広場」166?167頁
^ ⇒ケロコのまた、言ってしまった!!vol.2
^ 季刊ランラジオ(自由国民社)1974年12月号 59頁
^ 北海道新聞 2012年6月1日
^ ⇒CDジャーナルデータベース
^ マダムケロコのちょっと長話2012年7月18日
関連項目
FMりべーる
ジャンボ秀克
奥山コーシン(「主人の母でなかったら・・。」を補作詞)
外部リンク
ケロコの言ってしまった!Part2 - ウェイバックマシン(2018年1月12日アーカイブ分)ブログ
⇒FMりべーる
⇒フィットあさひかわ