マスコット_(オペレッタ)
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『マスコット』のポスター.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

『マスコット』(フランス語: La Mascotte)は、フランスの作曲家エドモン・オードラン(英語版)による全3幕のオペレッタオペラ・コミック)で、1880年12月28日パリブフ・パリジャン座にて初演された[1]。本作はオッフェンバック以後のフランス・オペレッタの代表的傑作の一つである[2]。台本が非常に面白く、マスコットの伝説のクプレの旋律も洒落ていて、なかなかの名曲[3]マスコットとは「人々に幸運をもたらすと考えられている動物・もの」のこと[4]。日本でも浅草オペラ時代にしばしば上演された[5]
概要エドモン・オードラン アルフレッド・デュリュ

本作はオードランの最も人気のある作品で、リブレットはアンリ・シヴォ(フランス語版)とアルフレッド・デュリュ(英語版)が作成した[1]。この魅力溢れるオペレッタは、当初露骨だと評されたが、それにも関わらず、大成功を収めた。有名なアリアと共に〈二重唱〉「私は羊たちよりもずっと君を愛している」(Je t'aime mieux que mes moutons)や「楽園の使者」(ces envoyes du Paradis)などのクプレなども長く人気を保った[6]。〈羊と七面鳥の二重唱〉は初日から3回もアンコールを求められた[7]。本作はフランスでは1985年に1,000回の上演を達成している[1]。本作の成功で、オードランは勿論ほくほく顔、その上、彼はブフ・パリジャン座の新しい王[注釈 1]に仕立て上げられたのだ。ポルカギャロップサルタレッロマズルカタランテラなど覚えやすいうえに、エレガントで踊り出したくなるような音楽や魅力的なメロディが満載の『マスコット』は庶民層だけでなく、知識層の聴衆の心も魅了した。フリードリッヒ・ニーチェ1888年11月18日付で友人のペーター・ガストに宛てた手紙で次のように書いている。「最近『マスコット』を聞いた。3時間の間〈粗悪な〉時がなかった。フランス人はこの分野で茶目っ気や寛大な悪ふざけの術や懐古趣味異国趣味、さらにはあらゆる無邪気なものを持った天才だ。巧みで繊細に、趣味良く、効果を上げる本当の術を知っているのだ」[8]。オードランは本作と『オリヴェットの結婚(英語版)』(1879年)の成功により、シャルル・ルコックに比肩する作曲家としての地位を確立すると共に国際的名声も獲得した[9]

アメリカ初演は1881年4月11日ボストンのゲイアティ劇場にて行われた。イギリス初演はロンドン1881年 9月19日ブライトンで行われた[1]

なお、日本では1913年9月1日ローシー帝国劇場初のオペレッタとしてオッフェンバックの後輩にあたるオードランの『マスコット』の初演に踏み切った。19世紀末に『マスコット』とロベール・プランケット(英語版)の『コルヌヴィルの鐘』は世界中でオッフェンバックを上回る上演回数を誇っていて、横浜居住地でも既に上演されていた。この『マスコット』の初演はまずまず成功したと言える[10]。台本は二宮行雄の日本語訳で、河合礒代がベッティーナ(原信子が演じる予定だったが、病気のため代役で出演)、清水金太郎がピッポ、柏木敏がロッコ、南部邦彦がロランを演じている[11][12][注釈 2]。この3年後の1916年2月にも『マスコット』は横浜居留地(ゲーテ座)と帝劇の両方で東京アマチューアドラマティック倶楽部[注釈 3]により上演されている[13]
登場人物

人物名原語声域役柄初演時のキャスト
ベッティーナBettina
メゾソプラノ七面鳥の飼育係
実はマスコットマリー=グリジエ・モンバゾン
(Marie Grisier-Montbazon)
ピッポPippoテノールベッティーナの恋人ルイ・モルレ
フリテリーニFritelliniテノールピサ大公国の王子
フィアメッタの許嫁シャルル・アミー
ロラン17世Laurent XVIIバリトンピオンピーノ大公ポール・イットマン
フィアメッタFiamettaソプラノロラン17世の娘
フリテリーニの許嫁ディネリ
パラファントParafanteテノール軍曹ペシュー
ロッコRoccoバス農場の管理人ロクール
マテオMatheoバス旅館の主人デモン
合唱:農民、領主、宮廷の女性、兵士、他

演奏時間

第1幕:約45分、第2幕:約35分、第3幕:約30分 合計:約1時間50分
あらすじ
物語の舞台:
17世紀イタリアのピオンピーノ大公国、ピサ大公国

第1幕
ロッコが管理する農場の仕事場の庭
トゥールーズでの1970年の上演時のセット

葡萄の収穫が終わり、村人たちはお祭り騒ぎをしている〈合唱〉「収穫は終わった」( La vendange se termine)。しかし、ロッコは騒ぐ民衆とは裏腹に、最近はやることがなく、運に見放され、やることなすこと上手く行かないと嘆く。一方、彼の兄のアントニオは何をやっても上手く行き大金持ちになっているので、ロッコは牧童のピッポを使いにやり、金の無心をしていた。すると、ピッポが戻って来て、兄君のアントニオは今回は金を融通するのを断り、代わりにベッティーナという娘を下さると言うことでしたと報告する。下女なんてもらったって、口が増えるだけで助けにならないと漏らす。ピッポはこのような不運続きの家にこそマスコットが必要なのですと言う。ベッティーナのことはマスコットだと思えばよろしいのでは、と言う。皆がそのマスコットって何のことかと問うと、彼はマスコットの伝説の〈バラード〉「ある日、悪魔が」(Un jour le diable… ces envoyes du Paradis)を歌い、昔悪魔が多くの小悪魔を造って人間界に送り込み、不幸をばらまいたので、神が見かねて幸運をもたらすマスコットを地上に送り込んだのだとピッポは説明する。そして、彼は実はそのベッティーナが好きで、デートをしようと思っているのだが、いつも前の主人のアントニオが邪魔していたので、彼女が来てくれるのはとても嬉しいのだと告白する。ロッコはそこまで言うなら、ベッティーナを受け入れるとしようと言い、部屋に入り、ピッポも退場する。すると、人の話し声が騒がしくなると、キスを求める若い男たちを追い払いながらベッティーナが〈クプレ〉「近づいたら、ひっぱたくわよ」(N’avancez pas ou je tape )を歌いつつ、姿を現す。ロッコが彼女を迎えると、ベッティーナは兄からの贈り物だと言い手紙のさしてある卵の入った籠を渡す。ロッコはどうせまた説教の手紙だろうと受け取るが手紙は読まない。すると、ラッパの音が聞こえ、小姓が登場し、ロラン大公とフィアメッタ王女、それにその婚約者フリテリーニ王子のご来訪ですと告げる。大公は〈クプレ〉「良識ある人こそ賢者である」( Les gens senses et sages)を歌い、迷信なんて信じるなと言う人もいるが、自分はそうは思わない、むしろ縁起はかついだ方が良いと言う。


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