マジック_(バンド)
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この項目では、日本のロックバンドについて説明しています。カナダのレゲエファッションバンドについては「Magic!」をご覧ください。

MAGIC
別名魔法
ジャンルロック
ロカビリー
ガレージ・ロック
活動期間1988年 - 1999年
2017年 -
レーベルメルダック1990年 - 1996年
トーラスレコード1997年
バンダイ・ミュージックエンタテインメント1998年
共同作業者今井裕(編曲)
魚海洋司(作曲・編曲)
船橋孝樹(作詞)

メンバー上澤津孝ボーカル
山口憲一ギター
久米浩司(ドラム
谷田部憲昭コントラバス

旧メンバー炭谷貴士(コントラバス)
高橋琢巳(コントラバス)
小坂浩人(ギター)
菅井敏昭(ドラム)
BLACK CATS

MAGICとは、日本ロカビリーバンドである。1988年から1999年にかけて活動し解散したが、2017年に再結成、活動再開している。
メンバー
前期(1988年 - 1994年)

上澤津孝 - ボーカル

谷田部憲昭 - ギター → コントラバス(1992年 - 1994年)

山口憲一 - ギター(1988年 - 1994年)

久米浩司 - ドラム(1988年 - 1994年)

岐阜県出身。血液型A型。The Biscatsボーカル青野美沙稀の父親[1]


炭谷貴士 - コントラバス(1988年 - 1991年)

高橋琢巳 - コントラバス(1991年 - 1992年)

後期(1994年 - 1999年)

上澤津孝 - ボーカル

谷田部憲昭 - コントラバス

小坂浩人 - ギター(1994年 - 1998年)

菅井敏昭 - ドラム(1995年 - 1997年)

再結成(2017年 - )

上澤津孝 - ボーカル

山口憲一 - ギター

谷田部憲昭 - コントラバス

久米浩司 - ドラム

来歴

1988年5月に上澤津孝と炭谷貴士が出会い「MAGIC」を結成。リーゼントにshottの革ジャン、VANSONのレザーパンツ、足元をRED WINGのエンジニアブーツで固めるハードな渋カジスタイルを全国に波及させ、ネオロカビリーブームを巻き起こした[2]渋谷のPink Dragonを拠点に5人で活動を開始。メジャー・デビュー前からストリートライブが評判を呼び、全国ライブハウスツアーも成功を収める[2]1990年にメジャー・デビュー[2]

1991年に炭谷貴士が脱退。炭谷に代わって高橋琢巳が加入するも翌1992年に脱退。その後、谷田部がギターからコントラバス(ベース)にコンバートし、しばらくは上澤津(ボーカル)・山口(ギター)・谷田部(コントラバス)・久米(ドラム)の4人体制で活動。1993年に発売したシングル「天使のジェラシー」はテレビ朝日系列ドラマ『ツインズ教師』の主題歌となり、オリコン初登場37位で累計30万枚を売り上げた[2]。ロカビリー人気が高い富山県を中心とした北陸地方では特に大人気で、読売新聞では「国内人気No.1」として紹介されたこともある[3]

後に方向性の違いから、1994年に山口憲一と久米浩司が脱退。代わって1994年に小坂浩人(ギター)が、1995年に菅井敏昭(ドラム)が、それぞれ加入する。上澤津・谷田部・小坂・菅井の4人体制となった後期は、織田哲郎NOBODY音楽プロデューサーに迎えて活動を展開するが、この頃にはロカビリーよりもロックが中心となる。1997年に菅井が脱退し3人体制となり、また長年所属したメルダックを離れトーラスレコードに移籍。1998年にはバンダイ・ミュージックエンタテインメントに再移籍するが、2017年に再結成するまでの時点でラストシングルであった「バーニング・ブルー」発売直前に小坂が脱退した。

最終的にオリジナルメンバーであった上澤津と谷田部の2人だけとなり、1999年春に2人が所属事務所に解散の意向を表明し、解散した。

その後は各自でソロ活動を行ったり、山口、久米(RODEO)ないし上澤津、山口(wface)によるユニットでの活動が一時的に見られたが、2017年、オリジナルメンバーである上澤津、山口、谷田部、久米の4人で再結成し、活動を再開した[4]

2019年10月1日、21年ぶりとなるシングル「ファイナルカウントダウン」を発売。併せて、結成30周年となる2020年1月にかけて、全国ライブツアーを実施した[5]
エピソード

メジャー・デビュー時点でメンバー全員(上澤津、山口、谷田部、久米、炭谷)が刺青を彫っていたなど、当初から『男臭さ』を前面に押し出していた。炭谷は脱退後、地元である富山県で衣料品・雑貨店[6]を経営。2005年にソロアルバムを発売し、音楽活動を再開。

病没した葛西紀明の妹が10代の頃MAGICの大ファンであり、闘病中のためMAGICのライブに行けなかったことをメンバーが知るや、オフに急遽集まり、葛西の妹がいた名寄までメンバー全員で出向いて本人だけのための特別ライブを1994年2月22日[注釈 1]に開いた。ただ、当時は上澤津がテレビドラマ「横浜心中」に出演するなどスケジュールがタイトであったため、時間の関係もあり僅か1曲だけの披露に留まった。なお、この時のスポーツ紙の記事の見出しでは『入れ墨バンド』と紹介されていた[7]。そのテレビドラマ「横浜心中」では、上澤津のほか、上澤津が演じた青年のバックバンド役として、当時のメンバー全員が出演した。

山口・久米は、脱退後、新たなバンド「RODEO」を結成して活動し、2000年に解散。山口は谷田部と「JOHNNY KOOL[8]」を結成し、久米は「CROSSFIRE」を結成した。

また山口は上澤津とも再会し、2001年に山口と上澤津で「wface」を結成して活動。MAGIC時代の曲もカバーする。

上澤津はのちに沖縄へ移住してドクターマーチン沖縄[9]などを経営。個人のfacebook[10]では2013年のソロ活動開始を発表、「琉球グラフィティ」などを発表している。

山口は、他に音楽ユニット「GRETSCH BROTHERS」を結成、2013年には再びLEVI DEXTERとのコラボアルバムを発表。
ディスコグラフィー
シングル

リリース日タイトル作詞・作曲・編曲
前期1st
1990年8月21日STREET ANGEL作詞:上澤津孝
作曲:久米浩司
編曲:MAGIC
2nd1991年4月21日ブラッディ・マリーの夜作詞:上澤津孝
作曲:山口憲一
編曲:MAGIC
3rd1991年12月16日さらば青春の光作詞:すぎやまこうたろう
作曲:山口憲一
編曲:魚海洋司・MAGIC
4th1992年8月18日GOLDEN SUMMER作詞:船橋孝樹
作曲:久米浩司・魚海洋司
編曲:魚海洋司・MAGIC
5th1992年6月25日東京バーニング・タウン作詞:舟橋孝樹
作曲:山口憲一・久米浩司・魚海洋司
編曲:魚海洋司・MAGIC
6th1993年4月28日天使のジェラシー作詞:舟橋孝樹
作曲:久米浩司・魚海洋司
編曲:魚海洋司・MAGIC
シンセサイザーアレンジ:山中紀昌


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