この項目では、日本のお笑いコンビについて説明しています。
名称の由来については「マシンガン」をご覧ください。
ゆでたまごの漫画『キン肉マン』およびその続編の『キン肉マンII世』に登場する架空のタッグチーム群については「キン肉マンのタッグ」をご覧ください。
日本のヘヴィメタルバンドについては「SEX MACHINEGUNS」をご覧ください。
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}かつて吉本興業に在籍していたコンビ「マシンガンズ」[要出典] [1]とは異なります。
マシンガンズ
左から滝沢秀一、西堀亮(2023年、東京都)
メンバー滝沢秀一
西堀亮
結成年1998年
事務所太田プロダクション
活動時期1998年 -
出会い東京都豊島区のカルチャースクール(東武カルチュアスクールの西条昇講師のお笑い講座)
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種漫才、コント
ネタ作成者両者
現在の代表番組テレビ
有吉ベースラジオ
マシンガンズの働きタイミー
過去の代表番組PON!
おもいッきりPON!
おもいッきりDON!
同期サンドウィッチマン
トータルテンボス
ザブングル加藤
今野浩喜など
公式サイト公式プロフィール
マシンガンズ
YouTube
チャンネル
マシンガンズチャンネル
活動期間2020年4月23日 -
ジャンルバラエティ
登録者数1万人
総再生回数355,036 回視聴
事務所(MCN)太田プロダクション
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002024-04-22-00002024年4月22日時点。
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西堀亮
YouTube
チャンネル
西堀ウォーカーチャンネル
活動期間2021年12月6日 -
ジャンルバラエティ
登録者数3万人
総再生回数5,483,485 回視聴
事務所(MCN)太田プロダクション
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002024-04-22-00002024年4月22日時点。
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滝沢秀一
YouTube
チャンネル
たきざわゴミ研究所
活動期間2018年11月21日 -
ジャンル環境
登録者数1万人
総再生回数1,667,327 回視聴
事務所(MCN)太田プロダクション
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002024-04-22-00002024年4月22日時点。
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一般社団法人ごみプロジェクト団体種類一般社団法人
設立2021年10月4日
所在地東京都中野区東中野5丁目25番6号マートルコート東中野グラン108
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分38.19秒 東経139度41分31.68秒 / 北緯35.7106083度 東経139.6921333度 / 35.7106083; 139.6921333座標: 北緯35度42分38.19秒 東経139度41分31.68秒 / 北緯35.7106083度 東経139.6921333度 / 35.7106083; 139.6921333
法人番号9011305002779
主要人物滝沢秀一(代表理事)
活動地域 日本
活動内容ごみや環境・SDGsの普及啓発事業
ウェブサイトhttps://www.takizawa-gomipro.net/
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マシンガンズは、太田プロダクション及び漫才協会に所属する日本のお笑いコンビ。2023年『THE SECOND ?漫才トーナメント?』準優勝。
メンバー講演「マシンガンズ滝沢と考えるごみ問題」の滝沢秀一(2023年、鷹栖町)
滝沢 秀一(たきざわ しゅういち、1976年(昭和51年)9月14日 - )(47歳)
ツッコミ担当、立ち位置は向かって左。新潟県[2]中魚沼郡津南町生まれ、東京都足立区育ち[3]。血液型AB型。身長は169cm。2008年頃から金髪になっていたが[4]、2014年から黒髪に戻している。趣味は野球観戦、特技はごみ分別、鉄棒、Y字バランス。高校時代、『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日)の勝ち抜き企画へ出演していた爆笑問題に憧れて芸人を目指した[5]。東京都立足立高等学校卒業後[6]、東京成徳大学人文学部英米文化学科に進学し卒業。在学中はアメリカ文学を専攻し、卒業論文のテーマにしていた人物はエドガー・アラン・ポーだった[7]。好きな作家は村上龍、中上健次[7]。中日ドラゴンズのファン[8]。2008年に結婚。2013年3月に第1子となる男児、2016年7月に第2子となる女児が誕生[9]。妻の友紀(1971年 - )は48歳から絵を描き始め、滝沢の体験を綴った漫画『ゴミ清掃員の日常』シリーズの作画を務めるなど漫画家としても活動している[10]。2012年から生計を立てるため(妻の出産費用が必要となったのがきっかけ)に友人の伝でごみ収集会社の収集作業員として就職し、現在も芸人と兼業している[11][12]。2019年に受けたインタビュー内において「本業がゴミ清掃員で、芸人は副業」「この仕事を辞める気はない」などと語っている通り[13]、現在は芸人よりもゴミ清掃員としての活動に本腰を入れている。またゴミ清掃員として活動する傍ら、その経験を活かして「ごみ研究家」としてテレビ出演や講演会を行ったり多数の著書を出版したり(後述)など活動の幅を広げている。2020年10月9日にはそれまでの多岐に渡る活動が評価され、環境省により「サステナビリティ広報大使」に任命された[14]。
西堀 亮(にしほり りょう、1974年(昭和49年)10月4日 - )(49歳)
ツッコミ担当、立ち位置は向かって右。北海道札幌市北区出身。血液型A型。身長は174cm。趣味はお酒を飲むこと、特技はカクテル作り。北海道石狩南高等学校卒業[15]。高校卒業後は大工をしていたが、芸人を目指してPENNY LANE 24で吉本興業札幌支社のオーディションに落選した事がきっかけで上京[16][17]。24歳から芸人活動を始めたため、有吉弘行やビビる大木、永野などの同い年の先輩や、タカアンドトシ、品川庄司(品川は年上)、バカリズム、バイきんぐなど年下の先輩が多い。同じ事務所の有吉や土田晃之、山本浩司(タイムマシーン3号)とも仲がいい。2012年に結婚。相方・滝沢が芸人活動を副業として以降、ごみ分別にまつわる講演などの活動が増えたため「収集員のバーター」と自虐しており、横にいるうちに分別にも詳しくなっている。一般社団法人発明学会会員[18]。2020年12月、『発明学会主催 身近なヒント発明展』で靴ブラシハンガーを発明し、優良賞を受賞した[19][20]。2023年5月21日、自身がアシスタントを務めるラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN)にて、発明商品である「【ASN-001】静音 くつ丸洗い洗濯ネット」が商品化されたことを公表[21]。6月17日一般社団法人発明学会の公開契約調印式に登壇[22]、同年6月28日に「【ASN-001】静音 くつ丸洗い洗濯ネット」が発売となった。女子バレーボールが好きであり[23]、身長が高めの女性を偏愛している。2021年12月、西堀が散歩をする様子を撮影した動画を投稿するYouTubeチャンネル「西堀ウォーカーチャンネル」を開設。西堀との散歩相手には主に所属事務所の後輩である和賀勇介(元トップリード)[24]、松崎克俊(元やさしい雨)が出演している。2022年1月には事務所の先輩である有吉弘行が散歩相手として出演した。
来歴
1996年、「受講料が安かった」という理由で、東京都豊島区内のカルチャースクールで学んでいた2人が意気投合。1998年4月1日に滝沢の大学卒業とともにコンビ結成[25]。[26]カルチャースクール在籍時から本気でお笑いを目指していたとのこと[27]。
コンビ名の由来は滝沢が当初「レッドキャット」や「ナンバーワンズ」というコンビ名の候補を発案したがそれを西堀が反対したことを受け、当時身の回りにいた誰かが着用していたTシャツに書かれてあった文字から由来していると語っている。[28]
結成して間もない頃、滝沢がボケで西堀がツッコミを担当していたもののウケが良くなかったという理由で、活動して4年後にボケとツッコミのポジションを交替。その後2006年末頃からWツッコミの芸風に変わった。その理由は「2人ともボケに向いていないと気付いた」などから[29]。
結成後、ズームリパブリックに所属したが程なく退所し[27]、所属先を模索した末に太田プロ所属事務所となる。
吉本興業(NSC大阪23期出身)にも同名のコンビがいたが無関係である(後に『ベッターマン』に改名し松竹芸能へ移籍、その後解散した)。
2011年1月、永沢たかし(磁石)が結成した、芸歴10年前後の吹きだまり芸人によるユニット「FKD48」に加入。西堀が毒舌担当で担当カラーは鶯色、滝沢が暴れん坊担当で担当カラーは若草色となっている。
滝沢は小説『かごめかごめ』(2014年3月6日、双葉社)で小説家デビュー。作家が“長年の夢”でもあり、それまでに2006年?2007年頃から年間1?2本文学賞に投稿していた[30]。小説は大学生の頃から書いていたとのことで、北日本文学賞の3次予選や[7]、群像新人文学賞の4次選考[31]、第125回文學界新人賞の最終選考[32]まで行ったこともある。小説執筆は、妻と子供を養っていくためでもあるという[33]。