マザー・テレサに対する批判
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マザー・テレサ

マザー・テレサに対する批判(マザー・テレサにたいするひはん)では、カトリック教会修道女であり伝道師[1]であったマザー・テレサに対する批判を扱う。

マザー・テレサは45年以上の長きにわたり、貧しい人、病める人、孤児、末期の人たちのために尽くしてきただけでなく、インドから世界中に広がった彼女の信徒たちを導いてきた。1979年にはノーベル平和賞を受賞し、1997年に亡くなると、ヨハネ・パウロ2世がテレサを列福し、2016年9月にフランシスコによって列聖されて聖人となり、彼女の命日である9月5日は祝日となった。

世界中の人々から讃えられ、各国の政府や組織から称賛を受けたマザー・テレサだが、彼女に対しては生前から批判や告発、抗議の声も少なくなかった。その矛先は例えば彼女の修道会の資金管理であり、末期の人への洗礼の奨励や医療ケアのクオリティ、そして植民地主義レイシズムのアイコンとなっていることであった。

一方で、それらの批判はインドのヒンドゥー至上主義極右ファシスト団体「民族義勇団(RSS)」により過剰な歴史修正が行われているという見方もある[2][3]
メディアにおける批判

インド生まれでイギリスに移住した医師で作家のアロー・チャタジー (Arup Chatterjee) は、マザー・テレサの施設で短い間働いていたことがあり、その後テレサの修道会について資金管理を含めた運営の実態の調査に取り組んでいる。1994年にはイギリスのクリストファー・ヒッチェンズとタリク・アリー (Tariq Ali) という2人のジャーナリストが、チャタジーの仕事をベースにして、イギリスのテレビ局Channel 4でドキュメンタリー番組『地獄の天使』(Hell's Angel) を製作した。

翌年、ヒッチェンズは『宣教師の立場』(The Missionary Position) を出版し、番組で放映された数々の告発をあらためて活字化した。チャタジーも2003年に『最終評決』(The Final Verdict) を出版し、ヒッチェンズの本よりは落ち着いた筆致ではあったものの、やはりテレサの事業について同じような批判を行った。

インドの首相だったインディラ・ガンディーは1975年に非常事態令を発動し、言論の自由を制限して野党や反対派を弾圧したが、その後マザー・テレサは「国民はさらに幸せになった。仕事は増え、ストライキはない」と発言している。こうした是認的なコメントはテレサと国民会議派の友好関係の現れだと受け取られた。これにはインド国外のカトリック系メディアからも批判があった[4]
末期の人への洗礼

マザー・テレサは自らが率いる修道会において、末期の病人がどんな信仰を抱いていようと、かまわずひそかに洗礼を行うことを奨励していた。神の愛の宣教者会にいたスーザン・シールズは次のように書いている。「修道女たちは、死の危険が迫る人たちに『天国への切符』を望んでいるか、とたずねなければならなかった。肯定的な返事があったら、それは洗礼に同意したとみなされた。修道女たちは患者の額を濡れた布で冷やすようにみせかけながら、必要な言葉を静かに唱えながら洗礼を施すのである。なぜ秘密裏に行うことが大事かといえば、マザー・テレサの修道女たちがヒンドゥー教徒イスラム教徒に洗礼を施していることを明るみにだすわけにはいかないからである」[5]

ジャーナリストのマレー・ケンプトンを筆頭として、こうした行為には批判が相次いだ。洗礼を施すのに、患者には意志決定ができるだけの十分な情報(自身が洗礼を本当に望んでいるのか、キリスト教における洗礼の神学的な意義とは何か)が与えられていないからである[6]。一方で作家のシモン・レイスは、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスへの投書でテレサを擁護している。「洗礼の仕草が持つ超自然的な効能を信じている人々は、それを心から望んでいるはずだ。そして信じていない人にとっては、善意による他愛もない仕草に過ぎない。頭の上のハエを手で払ってもらうのと同じことである」[7]
黒い交際

1981年、テレサはハイチを訪れ、独裁者ジャン=クロード・デュヴァリエからレジオン・ドヌール勲章を受けとっている。

『宣教師の立場』において、ヒッチェンズはアルバニアエンヴェル・ホッジャ政権をテレサが支持していたとして、激しく批判している。テレサは1989年8月にアルバニアを訪れており、そこでホッジャの未亡人であるネジミエをはじめ当時のアルバニア首脳や政府要人から歓迎を受けた。その後テレサはホッジャの墓に花束をそなえ、マザー・アルバニア像に花冠を飾っている[8]

テレサはイギリスのメディア王として知られたロバート・マクスウェルからも資金提供を受けていたとされている。(彼は後に暴かれたように、従業員の年金基金から4億5000万ポンドを着服していたことで知られる)。チャールズ・キーティングが事業で失敗した後に詐欺事件で起訴されたとき、キーティングの人柄を擁護する陳述書がテレサの名で作成されたことにも批判が集まった[9]。キーティングはマザー・テレサに数百万ドルの寄付を行っており、時には自分のプライベートジェット機を貸し出すことまでしていた[9]

テレサはリーチオ・ジェッリノーベル文学賞にノミネートされたときに支持を行った[10][要出典]。ジェッリは、フリーメイソンのロッジ(支部)であるプロパガンダ・デューの創設者であり、イタリアにおける複数の殺人や汚職事件との関与が指摘されるだけでなく、ネオファシスト的なイタリア社会運動やアルゼンチンの軍事政権との強い結びつきで知られている。
慈善活動

チャタジーによれば、マザー・テレサの「貧困の救済者」というパブリック・イメージには語弊があり、実際には彼女が運営した最大級の施設でもわずか数百人程度に施しをおこなっていたに過ぎない。1998年にカルカッタでの活動が報告されている慈善支援団体は200を数えるが、テレサの宣教者会はその中でも大規模な慈善団体とはいえない。例えばアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの慈善活動では、一日に1万8000食を振る舞い無数の困窮者を支援することで有名である[11]

チャタジーは、修道会の主たる活動は慈善事業ではなく、むしろ資金が投じられていたのは伝道活動だと主張している。例えば、パプアニューギニアに8箇所あった神の愛の宣教師会のうち、地元住民を受け入れている施設は一つもなかった。これらの施設は地元住民をカトリックに改宗させるためだけに運営されていたのである。

マザー・テレサは伝道を行った国のヒンドゥー教徒から、貧者を「秘密裏に」カトリックに改宗しようとしていると非難されることもある[12]。クリストファー・ヒッチェンズは、テレサの組織が苦しみを美徳とし、貧窮にあえぐ人々を助けようとしないカルト団体だと断じている。彼によれば、マザー・テレサが貧困について述べた言葉そのものが、彼女の意図するのは人民の救済ではないことを証明している。1981年の記者会見で「貧しい人には自らの分け前で我慢することを教えるのですね?」と問われたテレサはこう答えているのである。「貧しい人が自らの分け前を受け入れることはとても美しいことだと思います。キリストのご受難と共にあるということですから。」[8]
医療ケアのクオリティ

1991年にカルカッタにあるテレサの施設「死を待つ人の家」を訪れた、イギリスの医学雑誌ランセットの編集委員であるロビン・フォックスは、そこで患者に行われていた医療ケアを「でたらめ」(haphazard) と表現している[13]。修道女とボランティアたちにはまったく医学的知識がない者もいたが、ホスピスであるこの施設には医者がいないため、彼女たちが患者のケアについて決定権を持っていたのである。フォックスはこの施設の環境に関してマザー・テレサの責任を重くみるとともに、テレサの修道会が治療の可能な患者と不可能な患者の区別をつけていないことに注目している。つまり、助かる可能性のある人でも、感染や処置不足により死の危険に晒されてしまうところである。

フォックスもこの「死を待つ人の家」で修道女たちは清潔さを保ち、患者の傷や痛みによくつきあい、親切心にあふれていることは認めるのだが、彼女たちが患者の苦痛に対処する手段は「憂慮すべきほど不十分」だと述べている。この施設の処方集には強力な鎮痛剤がなく、フォックスはこれこそがマザー・テレサの取り組みと、一般的なホスピス運動をはっきりと区別するものだと考えた。


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