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この項目では、古代ユダヤの建造物について説明しています。その他の用法については「マサダ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度18分55秒 東経35度21分13秒 / 北緯31.31528度 東経35.35361度 / 31.31528; 35.35361
マサダ
(イスラエル)
マサダ
英名Masada
仏名Massada
登録区分文化遺産
登録基準(3),(4),(6)
登録年2001年
拡張年-
備考-
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図
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使用方法・表示
マサダ(ヘブライ語: ????[1])は、第一次ユダヤ戦争の遺跡で、イスラエル東部、死海西岸近くにある城址。「マサダ」とはヘブライ語で「要塞」を意味する。
歴史マサダから見た死海
J.フェラ画、1870年頃[2]
紀元前120年頃、死海のほとりの砂漠にそびえる切り立った岩山の上に建設され、後にヘロデ大王が離宮として改修した。山頂へは「蛇の道」と呼ばれる細い登山道が一本あるのみ、周囲は切り立った崖で、難攻不落と言われた。
66年、ローマ帝国に対してユダヤ人が決起しユダヤ戦争が勃発した。70年、ティトゥスの指揮するローマ軍団によってユダヤ側の本拠地であったエルサレムが陥落(エルサレム攻囲戦)。エルアザル・ベン・ヤイルに率いられた熱心党員を中心としたユダヤ人集団967人が包囲を逃れ、マサダに立てこもった。籠城側は兵士のみではなく、女性や子供も含まれていた。
1万5千のローマ軍団が周囲を包囲したが、さすがのローマ軍も、攻撃を寄せ付けないマサダの峻厳な地形に攻めあぐねる。やがてローマ軍はユダヤの捕虜と奴隷を大量動員して土を運び、山の西側の崖をそっくり埋めて突入口の建設を開始する。ユダヤ側は執拗に防戦したが、二年がかりで山腹は着実に埋められ、やがて陥落は目前となった。敗北が確実となったある日、指導者たちは集まって今後の方針を協議した。抵抗を続ければ全員が殺され、降伏すれば全員が奴隷となるのが当時の慣習であったためみんなで自殺することにした。
73年5月2日、ユダヤ人が集団自殺したことをまだ知らないローマ軍部隊は完成した侵入路を通り、城内に突入する。ローマ兵は内部の状況を把握していなかったため、死にもの狂いの抵抗を予想していたが、当然防戦する者は1人もいなかった。ユダヤ戦記には穴に隠れていた2人の女と5人の子供だけが生きのびたと書かれている。
マサダ陥落によってユダヤ戦争は一旦は終結した(後に第二次ユダヤ戦争が発生する)。陥落後のマサダはローマ軍により徹底破壊され、長い間その所在が分からなくなっていたが、1838年にドイツ人考古学者によって所在が確認された。
マサダは現代ユダヤ人にとり、民族の聖地となっている。イスラエル国防軍将校団の入隊宣誓式はマサダで行われ、士官学校卒業生は山頂で「マサダは二度と陥落せず」と唱和し、民族滅亡の悲劇を再び繰り返さないことを誓う。 ヨセフスの問題とは、「集団自決するある人数の者が円形に並び、数えてX番目の者が仲間に殺してもらい、最後の1人は自殺する。最後の1人になるには何番目に並べばよいか」という問題。ヨセフスとはユダヤ戦争時の指揮官で、当時は実際に似た方法が取られ、兵士はまず自分の妻子を殺してから一箇所に集まり、仲間を殺す役をくじ引きで選んだという。遺跡からは、そのために使われたといわれる名前を書いたくじが出土している。 要塞跡へはロープウェイのマサダ索道を利用する。所要時間は約3分である。 テレビミニシリーズ『炎の砦マサダ』(Masada 同年のプライムタイム・エミー賞において、デビッド・ワーナーがリミテッドシリーズ/テレビ映画部門の最優秀助演男優賞を、ジェリー・ゴールドスミスが最優秀作曲賞リミテッド・シリーズ/テレビ映画/スペシャル部門をそれぞれ受賞した。
ヨセフスの問題
登録基準からの翻訳、引用である)。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
交通アクセス
頂上駅
ロープウェイ
映像作品
スタッフ
監督:ボリス・セイガル
製作:リチャード・アーヴィング
脚本:ジョエル・オリアンスキー
原作:アーネスト・K・ガン
撮影:ポール・ローマン
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
キャスト