マグレガー・メイザース
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マグレガー・メイザース
エジプト密儀の大祭司に扮したマグレガー・メイザース
生誕Samuel Liddell Mathers
(1854-01-08) 1854年1月8日
ロンドンハックニー区イギリス
死没1918年11月20日(1918-11-20)(64歳)
パリ
墓地サフォークのベリー・セント・エドマンズ(英語版)
国籍イギリス
別名Samuel Liddell MacGregor Mathers
Comte de Glenstrae(グランストリー伯爵
出身校Bedford School(英語版)
職業オカルティスト
団体英国薔薇十字協会(英語版)
黄金の夜明け団
アルファ・エト・オメガ(英語版)
代表作ソロモンの鍵
術士アブラメリンの聖なる魔術の書
影響を受けたものジョン・ディー
エドワード・ケリー
アンナ・キングスフォード
影響を与えたものアレイスター・クロウリー
イスラエル・リガルディー
配偶者モイナ・メイザース(英語版)
親ウィリアム・M・メイザース
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マグレガー・メイザース(: Macgregor Mathers, フルネーム: Samuel Liddell MacGregor Mathers, 1854年1月8日 - 1918年11月20日)は、イギリスロンドン北部で生まれた[1]オカルティスト。本名はサミュエル・リドル・マザーズ (Samuel Liddel Mathers)[2]。自分はスコットランド人の末裔であると信じ、W・B・イェイツによれば、ケルト運動の影響を受けてマグレガー (MacGregor) と名乗るようになった[3]。後にパリに移住し、スコットランド高地人の衣装をまとってグランストリー伯爵マグレガー (Count MacGregor, of Glenstrae) とも名乗った。

英国薔薇十字協会(英語版)入会後、20世紀最大の西洋オカルト組織「黄金の夜明け団」創立者の一人となる。同団の参入儀礼を構築し、1897年に指導者となったが、2000年に団は分裂し、メイザーズに従った派閥は後に黄金の夜明けからA∴O∴(アルファオメガ)(英語版)に改名した。

ロンドン大英博物館図書閲覧室やパリの造兵廠図書館(フランス語版)などで魔術書を渉猟し、グリモワールソロモンの大いなる鍵』や『術士アブラメリンの聖なる魔術の書』、他にもゴエティアアレイスター・クロウリーに『ソロモン王のゴエティアの書』として無断で公刊されるなど多くの翻訳・編集を行い、その後のオカルトに影響を及ぼした。
経歴
初期ミナ・ベルクソン(1887)

マグレガー・メイザースは、1854年1月8日イギリスロンドンハックニー区で生まれた。父親のウィリアム・M・メイザースは子供の頃に亡くなった[1]。ベッドフォード・グラマースクールで学んだ後、母親とともにボーンマスに移住し、事務員などをして暮らしていた[1]。1877年10月4日、ドーセットの南海岸に位置する当地にてフリーメイソンに入会、本格的に秘学の研究を開始した。1887年マスター・メイソンになる。1882年、検死官ウィリアム・ウィン・ウェストコットと知り合い、その紹介で、マスター・メイソンにのみ入会が許される英国薔薇十字協会(英語版)(SRIA)に入会した。1885年に母親が亡くなるとロンドンに移住し、ウェストコットの旧居に住まわせてもらった[4]。メイザースはフレデリック・ホランドからカバラについて教示を受けており、ホランドやフレデリック・ホックリー(英語版)、ウェストコットらが名を連ねるオカルト研究会「八人協会」にも、ホックリー没後に加入した[5]。1886年神智学協会から独立したアンナ・キングスフォードのヘルメス協会でカバラについて講義した。1887年『ゾーハル』のラテン語訳とその注釈『ヴェールを脱いだカバラ』を翻訳し、アンナ・キングスフォードに捧げた。大英博物館でミシェル・ベルクソン(英語版)の哲学者アンリ・ベルクソンの実妹でもあるスレード美術学校卒業後エジプト美術に関わっていたミナ・ベルクソン(英語版)と出会う。9月ウィリアム・ウィン・ウェストコットの依頼でトリテミウスのポリグラフィア(英語版)による暗号で書かれていた暗号写本(英語版)の復号に成功した。それにはドイツアンナ・シュプレンゲルの住所があり、送った書簡の返信に、秘密の首領(シークレット・チーフ)から聖堂の設立と英国薔薇十字協会の会長ウィリアム・ロバート・ウッドマン(英語版)・ウェストコット・メイザースの三人にアデプタスの許可があったとした。1888年3月1日ドイツにある2つの神殿に続く黄金の夜明け団の第3神殿となる「イシス・ウラニア神殿」をロンドンに設立し、黄金の夜明け団の三首領の一人に名を連ねた。最初の参入者はミナ・ベルクソンである。
黄金の夜明け団時代イシスの儀式を行うモイナ・メイザース(1899)

1889年グリモワールソロモンの鍵』を翻訳・編集した。1890年ミナと結婚し、彼女はモイナ・メイザース(英語版)と改名した。1892年、メイザースはパリに妻と移ったが、生活は苦しく妻の友人のアニー・ホーニマン(英語版)に頼っていた。1892年メイザーズは「秘密の首領」とつながったと宣言し、黄金の夜明け団の第二団であるクリスチャン・ローゼンクロイツ伝説による「ルビーの薔薇と黄金の十字架団」に多くの儀式を提供するなど[6]、同団の参入儀礼を構築した。1896年エドワード・ウィリアム・ベリッジ(英語版)と対立したアニー・ホーニマンを黄金の夜明け団から追放し、経済的に破綻する。1897年、ウェストコットが首領を辞任し、パリにいたメイザースが首領になった。そしてフロレンス・ファー(英語版)をイギリス代表とした。しかしアデプタス達は他のメンバーとの人格の衝突や、イギリスでの活動の頻繁な欠席のために、メイザースのリーダーシップに不満を募らせていた。また『術士アブラメリンの聖なる魔術の書』を出版した。1899年、イシス・ウラニア神殿はアレイスター・クロウリーのアデプタス・マイナーへの昇格を拒否した。メイザースは決定を覆し、1900年1月16日にパリのアハトル神殿でそれを認め、ロンドンに戻ったクロウリーは承認を要求した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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