マグダレーネ・フォン・ザクセン
Magdalene von Sachsen
ザクセン公女マグダレーネ、ルーカス・クラナッハ (父) 画、1520年頃
出生 (1507-03-07) 1507年3月7日
神聖ローマ帝国
ザクセン公領、ドレスデン
死去 (1534-01-25) 1534年1月25日(26歳没)
神聖ローマ帝国
ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン
配偶者ブランデンブルク選帝侯世子ヨアヒム2世
子女一覧参照
家名ヴェッティン家(アルベルティン家)
父親ザクセン公ゲオルク
母親バルバラ・ヤギェロンカ
宗教キリスト教カトリック
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マグダレーネ・フォン・ザクセン(Magdalene von Sachsen, 1507年3月7日 - 1534年1月25日)は、ドイツのザクセン公爵家(アルベルティン家)の公女で、ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム2世の最初の妻。夫の即位以前に死去し、選帝侯夫人にはなっていない。 ザクセン公ゲオルク(髭公)とその妻でポーランド王カジミェシュ4世の娘であるバルバラの間の末娘として生まれた。両親によってカトリック信徒として育てられた。1524年11月6日にドレスデンにおいて、ブランデンブルク選帝侯世子ヨアヒムと結婚した。2人の結婚式は3000人の招待客と24人の諸侯が出席するという大変に豪華なものだった。花嫁の父による祝いの言葉は、花婿の叔父に当たるマインツ大司教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク
生涯
マグダレーネは1534年、27歳で死去した。悲惨な火災事故を目撃したショックが原因で寝込み、それが死期を早めたと言われる。翌1535年、ヨアヒム2世はマグダレーネの従妹にあたるポーランド王女ヤドヴィガを後妻に迎えた。 夫との間に5男2女の計7人の子女をもうけた。
子女
ヨハン・ゲオルク(1525年 - 1598年) - ブランデンブルク選帝侯
バルバラ
エリーザベト(1528年 - 1529年)
フリードリヒ(1530年 - 1552年) - マクデブルク大司教
アルブレヒト(1532年 - 1532年)
ゲオルク(1532年 - 1532年)
パウル(1534年 - 1534年)
参考文献
Ernst Daniel Martin Kirchner: Die Churfurstinnen und Koniginnen auf dem Throne der Hohenzollern: im ..., S. 291 ff.
Martin B. Lindau: Geschichte der Haupt- und Residenzstadt Dresden von der fruhesten bis auf ..., S. 436 f.
Samuel Buchholtz: Versuch einer geschichte der churmarck Brandenburg von der ..., Band 3-4, S. 420
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