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マクワウリ
マクワウリ(2006年8月)
分類
マクワウリ(真桑瓜、英名:Oriental melon、学名:Cucumis melo var. makuwa)は、ウリ科キュウリ属のつる性一年草、雌雄同株の植物[1]。メロンの一変種で果実は食用する。南アジア原産。季語は夏。日本では西洋メロンの導入以前より多数の農家で生産されて来た安価な庶民のメロンで、自然な甘味と歯触りが良いのが特徴である。
概要マクワウリの花
メロンの亜種で糖度は低いが、甘い瓜である。大量生産が容易で、市場では普段使いの野菜として安価に取り引きされ、昭和までは手頃な甘味として親しまれていた。平成以降は生産技術の向上でネット系メロンが安価になり、代替品のマクワウリを食べる機会は少なくなっている。種としてのメロン (Cucumis melo) は北アフリカや中近東地方の原産であり、紀元前2000年頃に栽培が始まった。そのうち、特に西方に伝わった品種群をメロンと呼び、東方に伝わった品種群を瓜(ウリ)と呼ぶ。マクワウリもその一つで南アジア原産とされる[2]。日本で古くから栽培されているマクワウリは、オリエンタルメロンと呼ばれる小型メロンの仲間である[2]。この系統のウリが日本列島に渡来したのは古く、縄文時代早期の遺跡(唐古・鍵遺跡)から種子が発見されている[2]。
日本におけるマクワウリの栽培史は20世紀初頭に導入されたメロンより遥かに長く、2世紀頃から美濃国(岐阜県南部)真桑村(のちの真正町、現:本巣市)が良品の産地であった。マクワウリの名前は名産地の真桑村に由来する。奈良時代末期に成立されたという『万葉集』にも登場し、歌に詠まれている[2]。
古くから日本で食用にされ、古くは「うり」と言えばマクワウリを指すものだった[3]。現在の甘い「メロン」が一般的になる昭和中期までは、マクワウリのことを「メロン」と呼んでいた[2]。他、アジウリ(味瓜)、ボンテンウリ(梵天瓜)、ミヤコウリ(都瓜)、アマウリ(甘瓜)、カンロ(甘露)、テンカ(甜瓜)、カラウリ(唐瓜)、ナシウリ(梨瓜)といった様々な名称で呼ばれる。
品種が多く、果実も様々な色や形のものがある。代表的なものはアメリカンフットボールのような形。果皮の色については#品種を参照。 ネット系の西洋メロンが日本の市場に流通するのは1925年(大正14年)以降、マスクメロンの温室栽培に成功してからである[4]。しかし当初は一般家庭には手の届かない高級品であり、庶民はもっぱら安いマクワウリを食べていた[4]。マクワウリに続いて導入された、ハネデューメロンやホームランメロン等のノーネットメロンは美しい網目の形成が不要で大量生産を行いやすいため安価に流通する傾向にあり、庶民の家庭では普段使い用に重宝されている。 食用とする果実は香りが良く、果肉がややかための食感で、さっぱりした甘味がある[2]。食材としての主な旬は7 - 9月とされ、全体に色が均一で重みのあるものが市場価値の高い良品とされる[2]。放射状に切って先割れスプーンなどですくったり、そのままかぶりついたりして食べるが、大型のネットメロンほどの甘味は無い[2]。浅漬けや糠漬けにもされる。 お盆のお供えとしてよく使われる。 カリウムが他の果物に比べて特に豊富に含まれおり、利尿作用により体内水分のバランスを整えるほか、高血圧や動脈硬化、糖尿病の予防に効果が期待できるといわれている[2]。その他、ビタミンCや、貧血予防に役立つといわれる葉酸も比較的多く含まれている[2]。 栽培難度はふつうで、栽培期間は5 - 8月、苗の植え付けは晩春(5月中旬)に行い、夏期(6月下旬 - 8月上旬)に収穫する[2]。寒さに弱い高温性植物で、栽培適温は25 - 30度とされる[2]。連作障害があるため、ウリ科作物を2 - 3年作っていない畑で栽培する[2]。家庭菜園や植物の解説ではメロンに準じて扱われる[5]。 畑は元肥を入れて良く耕しておき、高さ5 - 10センチメートル、幅100センチメートルの畝を作り、十分に暖かくなった晩春に苗を植え付ける[2]。定植時の株間は100センチメートル程度とし、根浅性のため深植は厳禁とされる[2]。初夏から夏期にかけては生長期で、つるが伸びたら本葉5 - 6枚で親づるを摘芯して、小づるを3本伸ばすようにする[2]。さらに小づるが伸びて本葉が15 - 20枚のころに摘芯して、孫づるに実をつけるようにする[2]。果実がつき始めたら、早めに摘果を行って、1株あたり6 - 8個の果実が残るように育てられる[2]。
マクワウリと西洋メロン
利用マクワウリの葉
栽培