マクロビオティック
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マクロビオティック (macrobiotics) は、従来の食養に、桜沢如一による陰陽論を交えた食事法ないし思想である。長寿法を意味する[1]玄米全粒粉を主食とし、主に豆類、野菜、海草類、塩から組み立てられた食事である。身土不二、陰陽調和、一物全体といった独自の哲学を持つ。運動創始者の桜沢如一は、石塚左玄玄米を主食とした食事法のための食養会に所属し会長も務めた後、思想を発展させ、また民間運動として世界に普及させた。他の呼称に玄米菜食、穀物菜食、自然食、食養、正食[注釈 1]、マクロビ[注釈 2]、マクロ、マクロバイオティックがある。

マクロビオティックの運動の始まりとしては、1928年に桜沢如一が行った講習会であると桜沢の夫人が述べている[2]。現在ではさまざまな分派が存在するが、桜沢如一に端を発した食に関する哲学や独自の宇宙感に関してほぼ同じ考えを保っており、また各集団も連携している[2]。2010年代には、マクロビオティックの健康効果の推定と[3][4]、乳がんや[5] 糖尿病にて[6] 臨床試験を実施した医学論文が出されており、日本でも栄養学者等を招いたシンポジウムが開催されている[7][8]
語源

マクロビオティックは、マクロとビオティックの合成語である。語源は古代ギリシャ語「マクロビオス」であり[9]、「健康による長寿」「偉大な生命」などといった意味である。18世紀にドイツのクリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラントが長寿法という意味合いで使いはじめた[1]

マクロビオティックはフランス語など、ラテン語系の言語での発音を日本語表記したものである。英語ではマクロバイオティクスに近い発音である。

マクロビオティックを実践している人のことを、マクロビアン、穀菜人(こくさいじん)と呼ぶこともある[注釈 3]
特徴

玄米を主食、野菜や漬物や乾物などを副食とすることを基本とし、独自の陰陽論を元に食材や調理法のバランスを考える食事法である。

おおむね以下のような食事法を共通の特徴とする[10]玄米

玄米雑穀全粒粉の小麦製品などを主食とする。

野菜、穀物、豆類などの農産物、海草類を食べる。有機農産物自然農法による食品が望ましい。

なるべく近隣の地域で収穫された、季節ごとの食べものを食べるのが望ましい。

砂糖を使用しない。甘味は米飴甘酒甜菜糖・メープルシロップなどで代用する。

鰹節煮干しなど魚の出汁、うま味調味料は使用しない。出汁としては、主に昆布椎茸を用いる。

なるべく天然由来の食品添加物を用いる。塩はにがりを含んだ自然塩を用いる。

牛、馬、豚、鶏などの類や乳製品は用いない。ただし、卵は病気回復に使用する場合もある。

厳格性を追求しない場合には、白身の魚や、人の手で捕れる程度の小魚は、少量は食べてよいとする場合もある。

皮や根も捨てずに用いて、一つの食品は丸ごと摂取することが望ましい。

食品のアクも取り除かない。

コーヒーは身体を冷やすので避ける。

「一物全体」「身土不二」「陰陽調和」の、三大理念を柱に持つ。

思想としての側面

マクロビオティックは、むしろ思想に近いものであり、病状などに即して栄養学的にメニューを調整するといった食事療法とは根本的に異なり、生活そのものを改善するような平和運動を伴った思想が根底にあるとされる[11][12]

さらに、陰陽思想を食のみならず、生活のあらゆる場面で基礎とすべく、万物を陰と陽に分類する無双原理という哲学を提唱した。そして、この独自の哲学を含む食生活運動へと発展させた。

食養会は、時代背景も反映して「米はウカノミタマや天皇家の象徴であり神聖である」として食養を奨励し、当時の世論である国家神道八紘一宇の世界観から平和的な世界統一観を主張していた。

宗教学者島薗進はエコロジー運動とよく似た考えや、宗教的な敬虔さを含んだ日本独自の思想が20世紀初頭にも存在していたという指摘をしている[2]。また島薗進は個々の現象への陰陽の割り当ての方法が恣意的であり、食物の陰陽調和や病気に対する対処の根拠について十分な根拠があるか疑問であると指摘している[2]
起源石塚左玄

思想的な基盤は、食育で著名な明治時代の薬剤監であり医師であった石塚左玄の食物に関する陰陽論である[9]。桜沢は左玄の結成した食養会で活躍することを通して食事療法(食養)を学び、独自に研究した[9]

左玄の著書に『化学的食養長寿論』があり「化学的」と冠しているが、左玄は当時の科学に敬意を持ち、当時の栄養学では重要視されなかった、栄養素のナトリウムカリウム陰陽のバランスと見て重要視し、独自の理論を提唱した[2]。(中医学ではないため、この分類は中医学の陰陽論に基づく分類とはかなり異なる)。左玄は「白い米は粕である」として玄米には栄養が豊富に含まれていると主張してきた[13]

左玄の『化学的食養長寿論』の序には「食よく人を養うも、またよく病を医す」とある[14]。人間の食物は穀物が主体であり、草食や肉食にすぎることなく[14]。ただし、禅宗の僧侶、欧米のベジタリアンなど動物性の食物を食べなくても健康長寿の楽しみを得ることができる[13]身土不二として、その土地にその季節にできるものを食べよ[14]。明治時代の西洋にかぶれたハイカラ教授は肉、バター、牛乳、卵だけが栄養かのように言うが、ナトリウムが多いのは動物性、カリウムが多いのは植物性、中間に玄米があり調和よく食べよ[14]。一物全体、生命体は全体において調和しているのだから、全体を食べよ[14]。刺身のような部分、皮をむくこと、白米、精白小麦粉、砂糖のように部分で食べれば、多病の千弱な人間となる[14]

マクロビオティックの運動の始まりとしては、1928年に桜沢如一が行った講習会であると、桜沢の夫人が述べている[2]。如一は、1910年代には食養会に入会し、雑誌『食養雑誌』に投稿をはじめ、1937年には食養会の会長に就任、1939年、同会を脱退した[15]。同時期1929年よりフランスのパリに渡り、1931年には本を出版し、各種の新聞や雑誌で鍼灸、華道、柔道、など東洋について論じた[15]

1940年9月、無双原理講究所を滋賀県大津市に開設し[15]、それは後に日吉にできたメゾン・イノグラムスとなる[16]


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