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出典検索?: "マクベス" ヴェルディ
『マクベス』(Macbeth)は、ジュゼッペ・ヴェルディが作曲した全4幕からなるオペラである。ウィリアム・シェイクスピアの同名戯曲『マクベス』に基づいており、1847年にフィレンツェで初演された。1865年に大幅な改訂がなされ、今日ではこの改訂版の方がより頻繁に上演される。
原語曲名:Macbeth
原作:ウィリアム・シェイクスピア作『マクベス』(Macbeth, 1606年頃執筆)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェおよびアンドレア・マッフェイ
演奏時間:約2時間30分
初演:1847年3月14日、フィレンツェ・ペルゴラ劇場にて、作曲者自身の指揮による
改訂版初演:1865年4月21日、パリ・リリック劇場にて
作曲の経緯
フィレンツェとの契約』(ローマ)、『アルツィーラ』(1845年、ナポリ)、『ジョヴァンナ・ダルコ』(同年、ミラノ)、『アッティラ』(1846年、ヴェネツィア)と一作毎にイタリア半島内の異なる都市での新作発表を続けてきた。1846年夏の時点で他にも「ナポリのためのもう一つの新作」、「パリでの公演(新作でなくともよいが、ヴェルディ自身の指揮が条件)」、「楽譜出版社ルッカ社のための2つの新作(うち一つはロンドンでの初演)」と、まだ片付けるべき契約が目白押しだったのだが、彼は体調不良を訴えるようになる(過労とストレスによる胃潰瘍ではないかとされる)。上記のうちいくつかの契約は延期してもらうことになったが、この時新たに接近してきたフィレンツェ・ペルゴラ劇場の1847年カーニヴァル・シーズンの新作委嘱を承諾してしまった。
候補となったのはウィリアム・シェイクスピア作『マクベス』、シラーの『群盗』(Die Rauber)およびグリルパルツァーの『先祖の女』(Die Ahnfrau)であった。ヴェルディはこの時ペルゴラ劇場にどのような歌手と契約する予定かを尋ねている。優れたバリトンが得られるなら『マクベス』、テノールであったら『群盗』を作曲しようとの考えだったが、フィレンツェが名バリトン、フェリーチェ・ヴァレージ(後年1851年には傑作『リゴレット』初演での表題役も務める)を確保できると知り、『マクベス』の制作が開始された。なお、『群盗』はロンドン向けの新作とされ、1847年7月に初演された。 台本作家は前作『アッティラ』と同様、フランチェスコ・マリア・ピアーヴェとなった。ヴェルディは1846年9月4日付のピアーヴェ宛書簡で「(前略)マクベスは人類の創造したもっとも偉大な悲劇だ。(略)我々は仮にここから偉大なものを作り出せないとしても、並以上のものは作れると思う。(略)詞句は短く、しかし気品を保ったものにしてくれ。(後略)」と注意点を述べている。 作曲時点の1846年において戯曲『マクベス』はイタリア半島で上演されたことはなかったと考えられているが、ヴェルディはカルロ・ルスコーニによるイタリア語訳版(1838年刊)を既に所有しており(この本はサンターガタのヴェルディの書斎の本棚に現存している)、散文形式での台本はほぼ自分一人で既に作り上げてしまっていた。
台本