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出典検索?: "マギー司郎"
マギー司郎
本名野澤 司郎
生年月日 (1946-03-17) 1946年3月17日(78歳)
出身地 日本・茨城県真壁郡下館町(現・筑西市)
血液型A型
言語日本語
方言茨城弁
師匠マギー信沢
芸風マジック
事務所オフィス樹木
活動時期1966年 -
配偶者なし(離婚歴あり)
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マギー司郎(マギーしろう、1946年(昭和21年)3月17日 - )は、日本の手品師、タレント。日本奇術協会相談役。本名:野澤 司郎(のざわ しろう)。
茨城県真壁郡下館町(現・筑西市)出身。オフィス樹木所属。 私生活で2度結婚と離婚をしており、現在は独身。 メガネに口ヒゲ・黄色い燕尾服の風貌で、飄々とした茨城弁による客いじりで煙に巻くスタイル。 何が起こるかを先に明かすネタばらしから始まる変則派で、「縦縞のハンカチを横縞にする」、「麦茶を烏龍茶にする」、「コシヒカリをササニシキに変える」などのインチキ手品を行いつつ、「うちの近所の八百屋のおかみさんに評判なんだけど、」「板橋に○○って飲み屋があるの知ってる?そこに週5回通う、常連の○○って人知ってる?その人が大好きなマジック、今からやるから」などのトークで繋ぎ、最後は正統派マジックに戻って高座を締める。 「これはデパート行けば売ってますからね」、「ハンカチが繋がるまでに、二日かかるのよ。ずーっと二日待ちますか?今日は特別に2日前にやったものをお見せしますからね」、「(ボールやカードの色を変える手品で)赤?…赤は先週で終わっちゃったのよ」、「こうやって破いた紙が……つながらないってのは知ってるよね?」、「1000円を2000円にするには2000円ないとできませんからね」などとギャグを挟み、笑いを取る。これという時には、最初から正統派マジックを見せる場合もある。 また、先に挙げたインチキ手品を行うと思わせながら、「ここに金魚の入った水槽があります。この水槽に、手品用のピンク色のハンカチを被せます」と言いつつ、「すると…このピンク色のハンカチの向こうにうっすらと金魚が見えるでしょ?このうっすらと見えるのが…僕大好きなの…」と、おとぼけの類を披露することも少なくない。 助手を伴う際には『移動マジック』と称し、客に箱の中身を見せぬまま、中身が移動したかどうかを助手だけに証言させ、さらに元に戻してから客に確認させるなどの掛け合いも見せる。 この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。
来歴
1963年 - 趣味で始めた手品に没頭する余り、プロを目指して17歳で家出し上京。水商売のアルバイトをしつつ、マジックスクールに通う。
1966年 - 20歳で道頓堀劇場で初舞台[1]。当時の芸名はジミー司で、正統派のスライハンドマジックを見せていた。
1968年 - 正統派マジシャンのマギー信沢に入門する[1]。
『田端グループ』盟友のゆーとぴあ・ホープの助言を容れて、茨城弁を活かした客いじり中心の「おしゃべりマジック」に転向したことで売れ出す。
キャバレー巡業時代に、歌手・桜一平と知り合い意気投合、桜に歌を習ってテレビの歌番組で優勝したこともある。
1980年 - 『お笑いスター誕生!!』で7週勝ち抜き、テレビにも活躍の場を広げる[1]。
1981 - 1982年 - 「日本放送演芸大賞ホープ賞」受賞。
現在はマギー一門の領袖として多くの弟子を抱える[1]。
人物
芸風
エピソード
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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