マギル大学
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マギル大学
Arts Building
大学設置1829年
創立1821年
学校種別公立
設置者王立学術振興協会
本部所在地ケベック州モントリオール
学生数31,081、40,036、37,888
キャンパスメイン(ダウンタウン)
マクドナルド
学部医学部、歯学部、工学部、法学部、経営学部 (Desautels)、理学部、音楽院 (Schulich)、教養学部、教育学部、農学・環境学部、神学部、生涯学習センター、等
研究科教養大学院、経営大学院、
工学大学院、法学大学院、
医学大学院等
ウェブサイト ⇒http://www.mcgill.ca
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マギル大学(英語: McGill University、略称:MU)は、ケベック州モントリオールに本部を置くカナダ公立大学1821年創立、1829年大学設置。

1821年にイギリス国王ジョージ4世勅許によって創立されたカナダで最も歴史ある大学であり[1]、国内有数の名門校の一つである。Maclean's Ranking開始から16年間連続でカナダ国内1位にランクされている[2]

マギル大学の大学名は創立者のジェームス・マギルに由来する。ジェームスはスコットランド出身のモントリオールの商人であり、マギル大学の前身である「マギル・カレッジ」は1813年に死去した彼の遺産によって設立された。
概要
キャンパス

マギル大学のメインキャンパス(本校舎)はモントリオールのモンロワヤルの麓に位置する。2番目のキャンパスも同じモントリオール島にあり、本校舎の西およそ30km、サンタンドゥベルヴュー地区(英語版)の緑豊かな場所にある。学術ユニットは全11に分かれ、学部・専門大学の中に位置付けられる[3]。この大学はアメリカ合衆国外にありながら、アメリカ大学協会の会員校である[注釈 1]
学位とディプロマ

300を超える学術分野において学位ディプロマを授与しているが、入学基準は非常に厳しい。特に大学を代表する看板部局であるメディカルスクールとロースクールの門は極めて狭く、過去10年の統計に見る平均合格率はメディカルスクールで7.21%、ロースクールで8.82%である。医学部は最初に設置され、またロースクールとともに、国内で最も歴史が長い[5]。学費はケベック州民、ケベック外カナダ国民、留学生で異なり、また部局間でも様々である[6]
卒業生

12名のノーベル賞受賞者、142名のローズ奨学金獲得者を輩出している[7][8]。そのほか、3名の宇宙飛行士、3名のカナダ首相、13名のカナダ最高裁判所裁判官、4名の外国首脳、28名の外国大使、その他、各賞の受賞者はアカデミー賞9名、グラミー賞11名、ピュリッツァー賞[9][10]3名、さらに28名のオリンピックメダリストを数える。加えてその長い歴史上、卒業生はアメリカンフットボールバスケットボールアイスホッケーの発明や初期の体系化にも貢献してきた[11]

マギル大学の卒業生が設立した主要な大学とカレッジには、例えばブリティッシュコロンビア大学ヴィクトリア大学アルバータ大学ウェスタンオンタリオ大学シューリック医歯学部(英語版)、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部(英語版)、ドーソン・カレッジがある。

経営学大学院 (Desautels Faculty of Management) は、東京都新宿区で週末集中講義による「マギル大学ジャパン 経営学修士課程(MBA)日本プログラム」[12]を開講している。
歴史
王立学術振興協会

王立学術振興協会(Royal Institution for the Advancement of Learning: RIAL)はローワー・カナダ立法議会(英語版)による「州内無料教育機関の設立及び学術振興に関する法」(en)に基づき1801年に創立された。

1816年、RIALはケベックシティーとモントリオールで新たな王立グラマースクールを2校運営する権限を与えられた。この権限付与は、この大学の前身が1807年の「学区公立学校法」(the District Public Schools Act of 1807)により教育予算と教員給与の補助を受けて創立されたのと同様に、ローワー・カナダにおける公共教育の転換期であり、特定宗派に属さない教育機関を設立する重要な第一歩であった。1813年にジェームス・マギルが死去すると、遺産はRIALの管理に託されている。

1846年に初期の王立グラマースクールの2校が閉鎖され、直轄のグラマースクール82校についても19世紀半ばまでにRIALの権限は失われた[13]。唯一、RIALに残された業務はジェームス・マギルの遺産を管理し、私立カレッジ補助に充てることであった。RIALは現存し、マギル大学の運営や、マクドナルド・カレッジ(現在のマクドナルド・キャンパス)、モントリオール神経学研究所(英語版)、ロイヤル・ヴィクトリア・カレッジ(旧: 女子大学を現在はマギル大学の学生宿舎に転用)といった多様な附属機関ならびに同大学の構成機関のコーポレートアイデンティティとなっている。ジョージ4世の勅許が1852年に改定されたため、RIAL評議員はマギル大学理事により構成されている[1]
マギル・カレッジジェームス・マギルの肖像。マギル大学創立者

ジェームス・マギルは1744年10月4日にスコットランドグラスゴーに生まれた。1756年にグラスゴー大学に入学、のちにケベック州で商人として成功を収める[14]。資産は1811年から1813年の時期[15]に作成した遺言状により、王立学術振興協会(RIAL)に対して「バーンサイド・エステート」(Burnside estate)ならびに19ヘクタールの田園地、1万ポンドを譲渡すると決めている[16][17][18]

1813年12月、マギルが死去する。RIALはその設立当初の業務であるローワー・カナダ(英語版)の初等教育管理に加え、マギルの遺言に基づき、大学を設立することとなった[19]

遺産受贈の条件として、土地と資金は「当該州における教育目的及び学術振興のために大学またはカレッジ」[20]の設立に充当する必要があった。また遺言状には学校に遺贈者の名前を冠するよう求めがあり、これらを死後10年以内に実施するか、さもなければ相続権は妻の相続人に移るとあった[21]

1821年3月31日、妻の相続人であるデリヴィエール家(Desrivieres)との長い法廷闘争の後、マギル・カレッジは大学への昇格についてジョージ4世より勅許を受ける。その勅許状に「学位授与を条件として、カレッジは大学とする」と記載されていた[22]
カレッジから大学へ
キャンパス拡張学内で最も古いアーツ棟。1843年完成。ジョン・オステル(en)設計。

マギル・カレッジは1821年に勅許を受けたが、1823年に設立されたモントリオール医学研究所(英語版)が学内初の学術機関となるものの、1829年まで活動はなく、同年、カナダ初の医学部となる。医学部は1833年に医学博士の第1号(Doctor of Medicine and Surgery)、すなわちカナダ初の医学学位保持者を輩出する[23]

医学部は、1843年に教養学部が新築のアーツ棟(Arts Building)と東翼のドーソンホール(Dawson Hall)で教授を開始するまで、唯一カレッジで機能していた学部である[24]

マギル大学は歴史的にカナダ近衛兵団(英語版)とも強いつながりがある。ジェームス・マギルがその軍事連隊の中佐を務めたこと、その階級はアーツ棟前にある記念碑に刻印されていることから、毎年、戦没者追悼記念日に行進をするカナダ近衛兵団は、その石碑を出発地点としている[25]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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