マキタスポーツ
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出典検索?: "マキタスポーツ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2012年12月)

マキタスポーツ
本名槙田 雄司(まきた ゆうじ)
ニックネームマキタ
生年月日 (1970-01-25) 1970年1月25日(54歳)
出身地 日本山梨県山梨市
血液型A型
身長168 cm
言語日本語
方言標準語甲州弁
最終学歴国士舘大学卒業
芸風物真似ギター漫談
事務所ワタナベエンターテインメント
活動時期1998年 -
同期サンドウィッチマン
他の活動ミュージシャン俳優作家ラジオパーソナリティー
配偶者既婚
公式サイト公式プロフィール
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マキタスポーツ(1970年1月25日 - )は、日本お笑い芸人ミュージシャン俳優ワタナベエンターテインメント所属。本名:槙田雄司(まきた ゆうじ)。

芸名は実家のスポーツ用品店屋号からとっている。既婚で4児(長女、次女、長男・次男=双子)の父親。
来歴芸名の由来となったマキタスポーツ用品店(2011年10月撮影)

山梨県山梨市出身。山梨県立日川高等学校国士舘大学卒業。

大学卒業後、地元の山梨に戻りモスバーガーの副店長として勤務する[1]も半年で退社。フリーター生活を経て、28歳で芸人デビュー。浅草キッドが主催していた「浅草お兄さん会」でデビューし、第5代チャンピオンとなる。ハチミツ二郎インディーズ事務所「トンパチ・プロ」を立ち上げるも、2年程で解散。フリーを経て、浅草キッドの紹介でオフィス北野所属になる。

R-1ぐらんぷり2011で準決勝進出。

中居正広の金曜日のスマたちへ』2012年1月20日に出演。音楽研究家として過去30年間のヒット曲から「ヒット曲の法則」を分析し、その法則に則り制作した「十年目のプロポーズ」を発売[2]

歌ネタ王決定戦2013で決勝進出。この頃から俳優として映画・ドラマ出演も行っており、映画『苦役列車』でブルーリボン賞新人賞・東京スポーツ映画大賞新人賞を受賞した。

出演する映画『みんな!エスパーだよ!』で役名のテルさん(永野輝光)として挿入曲を担当し、フルバージョンのMVの監督を務める[3]

所属しているオフィス北野のマネジメント問題からフリーエージェントを2018年4月23日に宣言(出演番組『東京ポッド許可局』の東京ポッド許可局局員である米粒写経(居島一平、サンキュータツオ)やプチ鹿島と共に)[4]。その後、同年6月18日放送分の同番組内にてワタナベエンターテインメントへ所属する事を発表した[5][6]
芸風・人物

クオリティーの高いパロディーソング、ミュージシャンの思考形態の模写を得意とする。自身が得意とする「作詞作曲モノマネ」を始めた切っ掛けは、長渕剛がラジオ番組『長渕剛のオールナイトニッポン』で、ボブ・ディラン吉田拓郎のギターの弾き方の癖を分析し、彼らのマネをしてギターを弾いたのを聴いたのが始まり[7][8]。そのため「長渕剛さんが自分の原点」とも語っている[9]。そこから転じて長渕の「乾杯」とサザンオールスターズの「いとしのエリー」をマッシュアップした「いとしのエリーに乾杯」という両者の不仲説をモチーフにしたネタを披露したこともある。なお、桑田佳祐についても和洋折衷な音楽性を認める発言を著書でしており[10]、後述の通りミュージックビデオへの出演経験もある[11]。自称「ネタのできるミュージシャン」としてロックバンド「マキタ学級」としても活動。『ROCK IN JAPAN FESTIVAL2006』に出演、出演したステージは違ったが、同じ日に出演する矢沢永吉のモノマネを披露し、会場を笑いに包む。「上手すぎてブレイクできない芸人」と高田文夫に評価されていた。2007年10月5日、6日と2日間に渡り、自ら「お笑いとロックの究極のフェス」と掲げる「マキタ学級大文化祭」を開催した。2009年当時は『イイYAZAWA』の名前で、矢沢永吉のモノマネで出演もしていた[12]

数多くの旬な有名人を取り上げてきた雑誌『SPA!』の「エッジな人々」登場(2005年6月)など、早くからその才能に白羽の矢が立ち、また文才も兼ね備えている。水道橋博士(浅草キッド)からも非常に高く評価され、売れる5年近くまで、毎年『今年来る芸人』にマキタスポーツを挙げていた。博士はマキタスポーツを、「自分がブログを始めたのはマキタの面白さを世に知らしめるためと言ってもいい[13]」「才能が渋滞している[14]」「オフィス北野の最終兵器[15]」と絶賛していた。

特技は剣道で、高校時代に山梨県大会準優勝の実力を持ち、高校総体にも出場した。

父親がハゲであり、カツラを着用していた。最初の頃はカツラと分からないような立派なカツラだったが、次第にやる気を無くしたらしく、母親が購入した婦人用カツラを自らカットしたものを着用し始めた。父親曰く「カツラをつけるより、外す方が勇気がいる」という事で、番組で「カツラ卒業式」を企画。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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