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週刊少年マガジン
WEEKLY SHONEN MAGAZINE

愛称・略称マガジン・週マガ・WM
ジャンル少年向けコミック誌
読者対象男性
刊行頻度週刊(水曜日発売 ただし、水曜日が祝日の際は火曜日発売)
発売国 日本
言語日本語
出版社講談社
編集部名少年マガジン編集部
発行人栗田宏俊
編集長川窪慎太郎[1]
雑誌名コード065
刊行期間1959年3月17日(1959年3月26日号) -
発行部数35万4,333部(2023年4月 - 6月日本雑誌協会調べ)
レーベル講談社コミックス(少年マガジンコミックス)
ウェブサイトhttps://shonenmagazine.com/
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『週刊少年マガジン』(しゅうかんしょうねんマガジン、: WEEKLY SHONEN MAGAZINE)は、講談社が発行する日本週刊少年漫画雑誌1959年3月17日創刊。毎週水曜日発売。略称は 「マガジン」「週マガ」。
特徴
原作と漫画の分業制

それまで月刊誌であった少年誌の週刊誌化に伴い、初代編集長の牧野武朗は週刊誌における漫画家の負担を考え、原作と漫画の分業制を打ち出し、当初のマガジンは原作付き漫画が多かった。後に本誌をホームグラウンドとして活躍する原作者の梶原一騎も当時「東京中日スポーツ」で『力道山物語[2]』を連載し好評を得ていた事からマガジンでの漫画の原作を依頼した事がきっかけである。[3]
劇画路線

1960年代中盤に人気であった『8マン』の連載終了と手塚治虫の『W3』の連載中断から「サンデー」へ移籍した事(W3事件)に伴い、マガジンとしては手塚漫画に対するアンチテーゼとして関西で勃興していた劇画に目をつけ、劇画路線の方針を打ち出す。そこに人間ドラマを取り入れた作品を発表し、『巨人の星』『無用ノ介』『あしたのジョー』『ワル』『空手バカ一代』『愛と誠』『釣りキチ三平』といった大ヒット作品を世に送り出す。[3]
連載漫画家の特徴

 創刊当初はライバル誌であった「少年サンデー」に手塚治虫藤子不二雄石森章太郎赤塚不二夫といった通称『トキワ荘』組の有名漫画家たちの連載を先に取られた事から「マガジン」は原作付き漫画を余儀なくされた。そうしたなかでちばてつやが台頭し、川崎のぼるさいとう・たかを水木しげる横山光輝楳図かずおジョージ秋山永井豪松本零士水島新司といった漫画家たち(先のトキワ荘組も含む)も参入し、1960?70年代の「マガジン」を盛り立てる事となる。

 1970年後期には後発である「ジャンプ」「チャンピオン」が若手漫画家を中心に部数を伸ばしていたために「マガジン」でも先の大家からの方針転換として柳沢きみお小林まこと三浦みつるもとはしまさひで村生ミオ楠みちはるといった新進気鋭の若手漫画家たちを起用し、新たな読者を獲得する事となる。

 一方で大島やすいち竜崎遼児小林よしのりなど「マガジン」出身ではない漫画家を多く起用していた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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