マカッサル
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マカッサル
Kota Makassar



市章

位置

スラウェシ島の地図、南スラウェシ州(ピンク)の州都
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯5度8分 東経119度25分 / 南緯5.133度 東経119.417度 / -5.133; 119.417
行政
インドネシア
 南スラウェシ州
 市マカッサル
市長Ilham Arief Sirajuddin
地理
面積 
  市域175.77 km2
人口
人口(2010年現在)
  市域1,338,633人
その他
等時帯インドネシア時間 (UTC+8)
市外局番0411
公式ウェブサイト : ⇒www.visitmakassar.net

マカッサル(インドネシア語: Kota Makassar)は、インドネシアの都市。旧名はウジュン・パンダン(Ujung Pandang)。スラウェシ島の南部に位置し、南スラウェシ州州都である。

ゴワ=タッロ(英語版)(マカッサル)王国時代の17世紀前半から後半にかけては、交易中継港として大いに栄えた。現在は人口が約134万人でインドネシア7番目の大きさである。また、東インドネシア地域の中心的な都市でもある。元々、都市の名前はマカッサルであるが、1971年にウジュン・パンダンに改名され、1999年に元の名前に戻された。
経済

街は南スラウェシの主要な港で、定期的な国内および国際的な輸送路を有している。 定期的な長距離配送のためのピニシ船(英語版) (Pinisi boat) を呼ぶ重要港として国内では知られている。植民地時代、街は大量に輸出されていた整髪用のマカッサル油(英語版)で有名であった。 マカッサルコクタンは柔らかい黒の色相であり、黄褐色あるいは茶色の基調に輝き、精巧なキャビネットやベニア板を作成するために非常に珍重されている。
交通

ハサヌディン国際空港がある。
歴史

香辛料貿易はスラウェシ島の歴史を大きく左右した。豊かな貿易を支配する為に、植民地になる以前から現地人同士や外国相手に何度も戦争が起きた。この地方産の香辛料は西洋で大きな価値が有ったのだ。スラウェシ島南部の歴史は13世紀?14世紀まで遡る事が出来る。ロッテルダム要塞、2010年

16世紀初め、マカッサルはインドネシア東部を代表する貿易の中心で、東南アジア島嶼部で最も大きい都市の1つになった。マカッサルの王は、全ての街の訪問者が商売を行う権利を主張し、自由貿易の政策を維持した。その結果イスラム教が支配的になったが、他のキリスト教等を信じる者も貿易は出来た。またオランダがこの街において専売会社を設立する試みを阻止した。これらの魅力が、マカッサルが香辛料諸島での貿易において、遠方から来るヨーロッパ人やアラブ人の商人の価値の有る拠点として、またマレー人の働き場として重要な中心地となった。[1]

1511年、マカッサルに居住した最初のヨーロッパ人はポルトガルの船員であった。マカッサルは中国人アラブ人インド人タイ人ジャワ人マレー人が金属製品や織物、真珠、金、銅、樟脳香辛料を交易する繁栄した国際的な貿易港だった。強大なゴワ王国の下、16世紀までにマカッサルはスラウェシ島の主要港となった。ゴワ王国は11の要塞を持ち、海岸に沿って海を要塞化した。[1]ポルトガルの支配者はこの都市を「Macacar」と呼んだ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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