マオリ語
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マオリ語

M?ori, Te reo M?ori
発音
IPA: [?ma???i]
話される国 ニュージーランド
地域ポリネシア
民族マオリ
話者数熟練した母語話者の数は不明
149,000人がある程度の知識を持っていると申告[1]
言語系統オーストロネシア語族

マレー・ポリネシア語派

大洋州諸語

ポリネシア諸語

東ポリネシア諸語

タヒチ諸語

マオリ語?モリオリ語

マオリ語







表記体系ラテン文字(マオリ語アルファベット)
マオリ語の点字
公的地位
公用語 ニュージーランド
統制機関 マオリ語委員会(英語版、マオリ語版)
言語コード
ISO 639-1mi
ISO 639-2mao (B)
mri (T)
ISO 639-3mri
Glottologmaor1246[2]
Linguasphere39-CAQ-a

 

注意: この表にはユニコードで記述されたIPA発音記号が含まれているかもしれません。

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マオリ語(マオリご、M?ori: マオリ語発音: [?ma?ri], Te reo M?ori)は、ニュージーランドの先住民族マオリの言語で、東ポリネシア諸語のひとつ。クック諸島マオリ語トゥアモトゥ語タヒチ語と深い関係があり、1987年にはニュージーランドの公用語の一つに認定された。同言語を使用する人の数は1945年以降急激に減少していたが[3]、マオリ語を再活性化する取り組みがこの減少を食い止め、2015年頃から勢いを盛り返した[4]。現在は、テレビ放送でも使われるなど[5]、活力を取り戻している。

2013年に実施された国勢調査によると、ニュージーランドの人口の 3.7 %にあたる約149,000人がマオリで日常会話をすることができたという[1][6]。2015年の時点で、マオリの成人の 55 % が何らかの言語に関する知識を持っていると報告している。しかし、これらの話者のうち、自宅でマオリ語を話すのは 64 % に留まり、「非常に流暢に」もしくは「流暢に」言葉を話せるのは約5万人にすぎない[7]

マオリ語には独自の文字体系がなかった。1814年頃から来た宣教師(Thomas Kendall, トマス・ケンドール(英語版))はマオリ語を学んで話し、ラテン文字を導入した。1817年、 ティートレ (T?tore) と彼の年少の親戚のトゥイ(Tui,トゥヒ(Tuhi)またはトゥパエア (Tupaea) としても知られる)がイギリスへ渡った[8]ケンブリッジ大学のサミュエル・リー (Samuel Lee) 教授を訪問し、マオリ語の文法と語彙をまとめるのに協力した。ケンドール (Kendall) は、1820年にホンギ・ヒカ (Hongi Hika) とワイカト(Waikato, ンガプヒ族の下位の首長)とともにロンドンに旅したが、その中でリー教授が、この言語の音声学的表記を整え、『First Grammar and Vocabulary of the New Zealand Language ニュージーランド語の最初の文法と語彙』(1820) が出版された[9]。ただし、英国聖公会宣教協会 (CMS) の宣教師たちはこの本を高く評価しなかった。1830年までにCMSの宣教師たちはマオリ語の正書法を修正した。例えば、「Kiddeekiddee」は現代の綴りでは「Kerikeri」になった[10]。マオリ語は母音の長短を区別する。現代の文章では通常長母音にマクロンをつける。古いテキストでは、長母音を二重の文字で表現するものがある(例 "Maaori")。最近の例外については、以下の「長母音」を参照。
名称

マオリ語に由来する英単語は、マオリ語の表記で綴られる。ニュージーランドではマオリ語をte reo M?ori「マオリ語」の略称の、te reo [t? ???.?]「言語」と呼ぶことが多い。[11]

ニュージーランド以外では”Maori” (マクロンなし)という綴りは、一般的用法でも言語学的用法でも、英語の標準となっている[1][12]。マオリ語の綴り、M?ori (マクロン付き)は、ニュージーランド英語、特にマオリ特有の文化的文脈において、近年一般的になってきている[11][13]が、伝統的な英語の綴りは、一般のメディアや政府機関で広く使われている[14]

英語での好ましい発音と代替的な発音は辞書によって異なり、[?ma?ri]が今日最も頻出し、[m????ri], [?m??ri], および [?m??ri]という発音もある[15]
公的地位

ニュージーランドには英語、マオリ語、ニュージーランド手話の3つの公用語がある[16]。マオリがこの地位を獲得したのは、1987年にマオリ言語法が可決されてからである[17]。ほとんどの政府省庁には、たとえば内務省のTe Tari Taiwhenuaのように、マオリ語の名称が付けられている。地方の官公庁や公共図書館などでは、二言語表記の標識を掲げ、二言語表記の便箋を使用している。ニュージーランド・ポストはマオリ語の地名を郵便上の住所として認識している。政府機関との交渉はマオリ語で行われることもあるが、実際にはほとんど常に通訳が必要であり、その日常的な使用はマオリ語の流暢性が高い限られた地域や、公開協議などのより正式な機会に限定される。ニュージーランドは次第に、マオリ語での名称である Aotearoa(アオテアロア、「長く白い雲の地」の意)と呼ばれるようになってきているが、元来はニュージーランド北島のみを指す語だった。

ニュージーランド議会では、マオリ語での発言を希望する議員のために、通訳が待機している[13][18]

1994年、イギリスの枢密院司法委員会による裁定[19]で、ニュージーランド政府はワイタンギ条約 (1840年) による言語保護の責任を負うことになった。従って2004年3月以来、政府はマオリ語で部分的に放送されるマオリTVに資金を提供している。2008年3月28日、マオリTVは、広告や字幕なしでマオリ語のみで放送される第二チャンネル、Te Reoを開始した。最初のマオリTVのチャンネルである Aotearoa Television Network (ATN) は、1996年からオークランド地域で放送されていたが、一年間しか続かなかった[20]

2008年に Land Information New Zealand が初のマクロンを付け二重母音を表記した公式の地名リストを発表した。以前の地名リストは、マクロンを処理できないコンピュータシステム(通常地図と地理情報システム)に依存していた[21]
歴史1895年から1909年までワイアプ司教を務めたウィリアム・レオナルド・ウィリアムズによる「マオリ語の最初のレッスン」の1930年の版で、1862年に初版が出版された。

伝説によると、マオリはハワイキからニュージーランドにやって来た。現在の人類学の学説では、その起源はポリネシア東部、おそらく南クック諸島またはソシエテ諸島地域にあり、彼らは遠洋航海用のカヌーを使った計画的な航海で到着したとされており[22]、おそらく船体が二重になっており、おそらく帆船仕掛けであったと思われる。これらの入植者たちはおそらく西暦1280年頃(マオリの歴史を参照)に到着したと考えられる。彼らの言語と方言は19世紀まで孤立した状態で発展した。

1800年頃からマオリ語は激動の歴史を迎える。ニュージーランドの主要な言語としてこの時代が始まった。1860年頃には、入植者、宣教師、金の採掘者、商人の多くが話す英語の陰で、少数言語となった。19世紀後半、ニュージーランドとその地方の植民地政府は、すべてのニュージーランド人のために英語スタイルの学校制度を導入した。1800年代の中頃から、学校でのマオリ語の使用は、西欧化を進めるために、先住民学校法とその後の先住民学校法(code)によって徐々にカリキュラムから外されていった[23]。一方で、マオリの英語学習者は増加していった。
衰退

第二次世界大戦 (1939 - 1945年) まで、マオリのほとんどはマオリ語を第一言語としていた。マオリ語で礼拝が行われ、マオリが家庭で話す言語として機能した。マオリの政治家たちはマオリ語で政治集会を開き、いくつかのマオリ語の文学作品が多くの新聞に登場した。

1880年以前には、マオリの議員の中には、議会の進行が英語で行われたために不利益を被った人もいた。


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