マオリM?ori
旗
Te Puni Maori Chief
総人口
約790,000人
居住地域
先住地
北島 (ニュージーランド)、南島 (ニュージーランド)(ニュージーランド)
言語
マオリ語
関連する民族
マオリ王
伝統的な姿のマオリの若者。現在のマオリは普通は洋服姿である。描かれたマオリ(1878年画)
(画)ゴットフリード・リンダウアー
マオリ(マオリ語: M?ori, マーオリ)は、アオテアロア(ニュージーランド)にイギリス人が入植する前から先住していた人々である。形質的・文化的にはポリネシア人の一派をなす。マオリとは、マオリ族の用いる言語マオリ語では本来「普通」という意味で、マオリ自身が西洋人と区別するために“普通の人間”という意味でTangata Maoriを使い出したにもかかわらず、イギリス人が発音しにくいという理由で、Tangata(=人間)ではなくて、Maoriを採用したのが由来とされる[1]。 神話では、伝説的な航海者クペが「ハワイキ」[注釈 1]から来航し、再びハワイキに戻って人々にアオテアロアの存在を教えたとされている。その後、「大艦隊」(Great Fleet)と呼ばれる7艘の航海カヌーに分乗した人々が来航したとされる。この「大艦隊」の7艘の名称は「アオテア(Aotea)」「アラワ(Arawa)」「クラハウポー(Kurahaup?)」「マタアトゥア(Mataatua)」「タイヌイ(Tainui)」「ターキティム(T?kitimu)」「トコマル(Tokomaru)」とされる。 1987年には、この伝説を検証すべく、マタヒ・ワカタカ(英語名グレッグ・ブライトウェル)がタヒチ出身の海洋冒険家フランシス・コーワンの協力を得て、伝統的な航海カヌーによるタヒチ?アオテアロア間の実験航海を行って成功を収めている。 また、ヘクター(ヘケヌクマイ)・バズビーを指導者とするグループはハワイのナイノア・トンプソンの協力を得て1992年に航海カヌー「テ・アウレレ」を建造し、マオリの遠洋航海技術の復興に取り組んでいる。 考古学的には、ポリネシア地域のクック諸島またはタヒチが起源とされ、9世紀から10世紀頃までにアオテアロアに移住し、狩猟採集生活を送る。しかし熱帯であるクックやタヒチと違い、ニュージーランドは温帯であったために同じような生活を送るには不向きであったため、狩猟採集に加え農耕を始め、住居もポリネシア風住居を基にそれより小さめの住居を建て始めた[2]。 人口が増えると各々が「イウィ」と呼ばれる部族を作り、部族同士の衝突も起こるようになった。人々はイウィを守るため、丘の上や峰など戦略的に大切な部分に柵や堀などを置いてイウィを防衛した。これは要塞で守られた村の意味で「パ 1840年にワイタンギ条約をイギリス政府とマオリ諸部族との代表者が締結し、マオリは主権をイギリスに譲渡するが、条文の解釈の相違等によって両者の対立は激化し、1860年代にはマオリ戦争
歴史
神話の歴史
考古学的な歴史
文化ニュージーランド・マオリ族の部族国旗
それぞれの集落や身分によって異なる、身体装飾としての刺青を顔面や全身に施す。
あいさつとして互いの鼻をくっつけ合う[5]。
民族舞踊であるハカはマオリの戦士が戦いの前に踊る他、歓迎の挨拶などでもハカを踊る。ラグビーのナショナルチームであるオールブラックスが試合前にハカを踊ることで世界によく知られている。
伝統芸能であるポイは、スイングジャグリングの一種として世界的に広く行なわれている[6]。
現在でもマオリの人々は、自分の家系が「大艦隊」のどの航海カヌーに乗って来たかを重視しており、一種の社会集団を形成している。