マウンテン_(バンド)
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マウンテン

Mountain

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コーキー・レイングス・マウンテン

ドイツ・ハンブルク公演(2016年)

基本情報
出身地

アメリカ合衆国

ニューヨーク州ロングアイランド

ジャンル

ハードロック[1]

ブルースロック[2]

活動期間

1969年 - 1972年

1973年 - 1974年

1981年 - 1985年

1992年 - 1998年

2001年 - 2010年

レーベル

コロムビア/ウィンドフォール・レコード

スコッティ・ブラザーズ・レコード

ヴァイスロイ・ミュージック

ライトイヤー・エンタテインメント

ビッグ・ラック・レコード

共同作業者ウェスト、ブルース&レイング

メンバー

レスリー・ウェスト

コーキー・レイング

レヴ・ジョーンズ


旧メンバー

フェリックス・パパラルディ

ほか別記参照

マウンテン(Mountain)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身のハードロックバンドである。

グランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad)と並び、アメリカン・ハードロックの草創期から活動する代表的グループとして知られる[3]
キャリア

1968年、巨漢のギタリスト、レスリー・ウェストと、クリームのプロデュースで知られるベーシスト、フェリックス・パパラルディが知り合ったことが、後のグループ結成へのいきっかけとなった。

1969年にリリースされたウェストのソロ・デビュー・アルバム『マウンテン』にはパパラルディとN.D.スマート(ドラムス)が参加し[4]、その後スティーヴ・ナイト(キーボード)を加えた4人でマウンテンが正式に結成された[5]。同年8月、ウッドストック・フェスティバルに出演し、その後ドラマーがウェストの旧友コーキー・レイングに交替する[5]

1970年に事実上のデビュー・アルバム『勝利への登攀』を発表。同作からのシングル「ミシシッピー・クイーン(英語版)」は全米21位のヒットとなり[6]、この曲は1971年の映画『バニシング・ポイント』の挿入曲に使用され[7]、またフジテレビの番組「ひらけ!ポンキッキ」の中でかなりの間使われていた。WB&L時代のレスリー・ウェスト(右)。左はジャック・ブルース

1971年の『ナンタケット・スレイライド』は、アメリカのBillboard 200で自己最高の16位を記録した[6]。同アルバムからは、1972年に「暗黒への旅路」が日本でヒットした。その後ハード・ロック志向を強めるウェストと、ミシガン大学でクラシックを専攻した素養を生かしプログレッシヴ・ロック志向を強めたパパラルディとの対立で1972年に解散。ウェストとレイングはジャック・ブルースと組み、ウェスト、ブルース・アンド・レイング(West, Bruce & Laing、WB&L)を結成。パパラルディも自前のバンドにおける活動に移る。

1973年、WB&Lの日本公演が企画されたが、その直前にブルースが脱退したためバンドが空中分解する。急遽パパラルディが呼ばれ、マウンテン再結成に差し替えられた。この日本公演には新メンバーのボブ・マン(キーボード、ギター)とアラン・シュワルツバーグ(ドラムス)を迎えた編成で行われ[5]、その模様はライヴ・アルバム『異邦の薫り』として発表された。その後レイングが復帰してスタジオ・アルバム『雪崩』が制作されたが、ウェストとパパラルディの溝は埋まらず、間もなく解散となる。

パパラルディはその後、プロデューサーとして日本のクリエイションやパンクバンド デッド・ボーイズを手がけ、ソロ・アルバムの制作も行ったが、1983年、アルバム・ジャケットの絵などを手がけていた妻ゲイル・コリンズに射殺される。

一方のウェストは、1978年スティーヴ・マリオットとザ・ファームを結成しようとするがデビューには至らず、その後ニューヨークで自分のギター教室を始める[8]

1980年代に入るとコーキー・レイングとマウンテン名義で活動再開するようになり、1985年にスコッティ・ブラザーズ・レコードの契約を得てアルバムをリリース[8]。その後もウェストを中心に再結成を繰り返している。

2007年オジー・オズボーン、再結成したオールマン・ブラザーズ・バンドのギタリストウォーレン・ヘインズをゲストとして迎え、全曲ボブ・ディランのカヴァーで制作した『Masters of War』を発表[9]2008年には、Forteのベーシストとして知られるレヴ・ジョーンズを迎えた編成でツアーを行った[10]

その後レスリー・ウェストが糖尿病の合併症にかかり、事実上の活動は2010年頃で停止した。翌2011年に右足の切断手術を受けている。そして2020年12月23日、心不全により死去[11]マウンテン活動停止後のコーキー・レイング(2016年)

全盛のメンバーで唯一存命中のコーキー・レイングは、自身でバンドを組みコーキー・レイングス・マウンテン名義でライブ活動を行っている。
メンバー
最終ラインナップ

レスリー・ウェスト (Leslie West) - ギター、ボーカル(1969年 - 1972年、1973年 - 1974年、1981年 - 1985年、1992年 - 1998年、2001年 - 2010年)?RIP. 2020

コーキー・レイング (Corky Laing) - ドラムス(1969年 - 1972年、1973年 - 1974年、1981年 - 1985年、1992年 - 1998年、2001年 - 2010年)

レヴ・ジョーンズ (Rev Jones) - ベース(2008年 - 2010年)

旧メンバー

フェリックス・パパラルディ (Felix Pappalardi) - ベース、ボーカル(1969年 - 1975年)?RIP. 1983

N.D.スマート (N.D. Smart) - ドラムス(1969年)

スティーヴ・ナイト (Steve Knight) - キーボード(1969年 - 1972年)?RIP. 2013

ボブ・マン (Bob Mann) - ギター、キーボード(1973年)

アラン・シュワルツバーグ (Allan Schwartzberg) - ドラムス(1973年)

マーク・クラーク (Mark Clarke) - ベース、ボーカル(1984年 - 1985年、1995年 - 1998年)

リッチー・スカーレット (Richie Scarlett) - ベース(1992年 - 1993年、2001年 - 2008年)

ランディー・コーヴェン(1993年 - 1994年)?RIP. 2014

ノエル・レディング (Noel Redding) - ベース(1994年 - 1995年)?RIP. 2003


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