マウリシオ・ショーグン
基本情報
本名マウリシオ・ミラーニ・フア
(Mauricio Milani Rua)[1]
通称ショーグン
踏みつけ大将軍
国籍 ブラジル
生年月日 (1981-11-25) 1981年11月25日(42歳)
出身地パラナ州クリチバ
所属シュートボクセ・アカデミー
→ユニバーシダデ・ダ・ルタ / キングスMMA
身長185cm
体重93kg
リーチ193cm
階級ライトヘビー級
バックボーンムエタイ、ブラジリアン柔術
テーマ曲Sail
(Armin van Buuren)
総合格闘技戦績
総試合数42
勝ち27
KO勝ち21
一本勝ち1
判定勝ち5
敗け14
引き分け1
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マウリシオ・"ショーグン"・フア(Mauricio "Shogun" Rua、1981年11月25日 - )は、ブラジルの男性元総合格闘家。パラナ州クリチバ出身。ユニバーシダデ・ダ・ルタ所属。元UFC世界ライトヘビー級王者。PRIDE GRANDPRIX 2005優勝。UFC殿堂入り。
卓越したムエタイ技術とシュートボクセ・アカデミー仕込みの強烈なラッシュ力、無尽蔵のスタミナで休むことなく攻め続ける。さらに関節技も得意としている。倒れた相手の顔面を踏みつける必殺技を持ち、「踏みつけ大将軍」の異名を持つ。しかし、UFCでは踏みつけ等のサッカーボールキックが禁止されているため、ショーグンが試合で踏みつけを用いていたのはUFC参戦前のみである。
実兄に総合格闘家のムリーロ・ニンジャがいる。 兄ムリーロ・ニンジャの影響で6歳からブラジリアン柔術、7歳からムエタイを始めた。プロ格闘家になる前はファッション誌やファッションショーのモデルもしていた[2]。 2002年にブラジルの総合格闘技大会Meca World Vale Tudoでグレイシー・バッハのカポエイラを相手にプロデビュー。右ハイキックでKO勝ち。同大会では3連勝し、エヴァンゲリスタ・サイボーグに打撃で追込まれるも逆転KOで勝利している。2003年9月6日には出場予定であった小路晃の代役でIFC世界ライトヘビー級王座決定トーナメントに出場、1回戦の対戦相手の予定はパウロ・フィリオだったが、フィリオが大会に現れず、代打で出場した世界柔術選手権覇者のエリック・ヴァンダレイに立技でも寝技でも果敢に攻め勝利する。準決勝では優勝したレナート・ババルに敗れ、キャリア初黒星を喫した。 2003年10月5日、先に日本で活躍していた兄ムリーロ・ニンジャに続いてPRIDEデビューし、PRIDE 武士道で小路晃と対戦。寝技に持ち込まれるシーンがあったものの、最後は得意の打撃で押し切りTKO勝ち。 小路戦を含めて日本人4連戦を全勝し、「日本人キラー」ぶりを発揮。 2005年4月23日、PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦のミドル級(-93kg)グランプリ1回戦で前回準優勝のクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦、膝蹴りでジャクソンを肋骨骨折に追い込み、さらに猛打を浴びせTKO勝ち。兄のニンジャに判定勝ちしていたジャクソンにリベンジした。 2005年6月26日のPRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDのミドル級グランプリ2回戦でアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦。得意の踏みつけを阻止されスタンドでも劣勢に立たされるも、テイクダウンと強烈なパウンドを駆使して判定勝ち。激闘となったこの試合は、同年のPRIDEオフィシャルウェブサイトの年間ベストバウト投票にて3位に選ばれた。 2005年8月28日、PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦のミドル級グランプリ準決勝でアリスター・オーフレイムを1RTKO勝ちで制し、決勝では兄弟子ヴァンダレイ・シウバを破ったヒカルド・アローナと対戦。踏みつけからのパウンドで1RKO勝ち。23歳でPRIDEミドル級グランプリ優勝を果たした。このアローナ戦が評価され、ニーノ・シェンブリからブラジリアン柔術の黒帯を授与されている。 2006年2月27日、PRIDE.31でマーク・コールマンと対戦、タックルを受けた際に受身を取りそこね、右肘を脱臼し49秒でTKO負けを喫した。 2006年9月10日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦でザ・スネークと対戦し、スタンドでは長いリーチに苦しめられるが、グラウンドでの踏みつけでTKO勝ち。 2006年10月21日、PRIDE初の海外開催となったPRIDE.32でケビン・ランデルマンと対戦。テイクダウンを奪われるも、粘り強く足関節を狙い、膝十字固めで一本勝ち。 2007年2月24日、PRIDE.33でアリスター・オーフレイムと再戦。猪木アリ状態からのパウンドで失神TKO勝ち。 2007年9月12日、理学療法士の女性と結婚。 2007年9月22日、UFC初参戦となったUFC 76でフォレスト・グリフィンと対戦。序盤は試合を優位に進めるも、徐々に失速し、3R終了間際にチョークスリーパーで一本負け。UFCは黒星デビューとなった。 2007年10月3日、UFC 76以前の練習で断裂していた左膝前十字靭帯の手術を行った。 2007年12月、シュートボクセ・アカデミーを離脱し、ムリーロ・ニンジャ、アンドレ・ジダらと共に新チーム「ユニバーシダデ・ダ・ルタ」を結成した[3]。 2008年6月7日のUFC 85でチャック・リデルとの対戦が予定されていたが、手術した左膝前十字靭帯を再び痛めてしまい再手術を受け、欠場となった[4]。 2009年1月17日、1年4か月ぶりの復帰戦となったUFC 93でマーク・コールマンと再戦し、パンチラッシュでTKO勝ちを収め[5]、PRIDE時代のリベンジを果たすと共にファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。しかし、全盛期を過ぎたコールマン相手にテイクダウンを奪われ、スタミナ切れを起こした末の勝利とあってファンや専門家から批判される事となった。 2009年4月18日、UFC 97でチャック・リデルと対戦し、パウンドでTKO勝ち[6]。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2009年10月24日、UFC 104のUFC世界ライトヘビー級タイトルマッチで王者リョート・マチダに挑戦し、3者とも47-48という僅差の判定負けを喫し王座獲得に失敗した[7]。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2010年5月8日、UFC 113のUFC世界ライトヘビー級タイトルマッチでリョート・マチダと再戦し、右クロスカウンターでダウンを奪い、追撃のパウンドで1RKO勝ちを収め王座獲得に成功した[8]。
来歴
PRIDE
UFC
UFC世界王座獲得
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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