マインドフルネス(英: mindfulness)とは、現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程である[1][2][3]。瞑想、およびその他の訓練を通じて発達させることができるとされる[2][4][5]。
語義として「今この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに捕らわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある[6]。しかし、とりわけ新しい考え方ではなく、東洋では瞑想の形態での実践が3000年あり、仏教的な瞑想に由来する[7]。
現在のマインドフルネスと呼ばれる言説や活動、潮流には、上座部仏教の用語の訳語としてのマインドフルネスがあり、この仏教本来のマインドフルネスでは、達成すべき特定の目標を持たずに実践される[8][9]。医療行為としてのマインドフルネスは、ここから派生してアメリカで生まれたもので、特定の達成すべき目標をもって行われる[8][9]。マインドフルネスは、大きくこの2つの流れに分けられる[8]。
医療行為としてのマインドフルネスは、1979年にジョン・カバット・ジンが、心理学の注意の焦点化理論と組み合わせ、臨床的な技法として体系化した[7]。心をリラックスさせたり、清めたり、思考を制御したり、不快感を即解決することではない[10]。 マインドフルネス(mindfulness)という用語は、仏教の重要な教えである中道の具体的内容として説かれる八正道のうち、第七支にあたるパーリ語の仏教用語サンマ・サティ(パーリ語ラテン翻字: Samma-Sati、漢語: 正念、正しいマインドフルネス)のサティの英訳である[11][12]。サンマ・サティは「常に落ちついた心の行動(状態)」を意味する[13]。サティは幾つかの仏教の伝統における重要な要素である[14][15]。 仏教において、八正道として説かれる8つの教えは互いに有機的に関連し合った一つの修行システムであり、独立して行われることは想定されていない。八正道により「分離した自我」、孤立的に存在する実体的存在としての自我という(仏教において)誤った認識を解体し(無我)、全てが相互につながりあって生起している(縁起)という正しい認識に基づいて生きることができるようになると考えられ、正念もこのヴィジョンに基づいて理解され実践された[12][16]。正念は、人を苦しみからの完全な解放や悟りと呼ばれるものへと徐々に導いていく自己認識や智慧を発達させることに役立ち「無我」や「無常」という真理を悟り解脱に至るための方法として実践されてきた[14][16]。 近年の西洋におけるマインドフルネスの流行は、1965年にアメリカで移民国籍法が成立してアジアからの移民が増加したことを背景に、ドイツ生まれのスリランカ上座部仏教僧ニャナポニカ・テラ
概要
2000年代に入るとアメリカでは東洋の思想実践への興味が高まり、アメリカ現代社会に欠けている「『今』への集中」が仏教の思想実践に見られると考えられ、マインドフルネス瞑想が改めて注目されるようになった[13]。ニャナポニカ・テラに始まる潮流のもとで、今日では多くの研究者が、マインドフルネス瞑想とは「気づき」や「ありのままの注意」を重視する「洞察瞑想」であり、ヴィパッサナー瞑想とほぼ同義であるとみなしている[17]。心理的・身体的健康や良好な人間関係、冷静な意思決定、仕事や学業への集中、全般的な生活の向上などに効果があるとして注目を集めている[17]。
日本では、1993年に開催されたワークショップはあまり関心を集めなかったが、2016年にNHKでストレスの対処技法として特集が複数回放送される等、近年メディアで取り上げられる機会が増加した[13][25]。2016年後半には、Apple社のスマートフォン「iPhone」でヘルスケアアプリに「マインドフルネス」のカテゴリが追加され[25]、2023年3月にはNHKドラマ「あいつ、マインドフルネスはじめるってよ」が放送されるなど、急速に一般に浸透しつつある。それに伴いビジネス化も進み、マインドフルネスの名称を利用し、本来のマインドフルネスとかけ離れたあやしいものも出回っている[25]。