マイントピア別子
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マイントピア別子
マイントピア別子本館
施設情報
前身別子銅山
テーマ別子銅山
キャッチコピー世界的産業遺産の里
面積約6万m2
来園者数約32万人(2003年度)
開園1991年平成3年)6月5日
所在地792-0846
愛媛県新居浜市立川町707-3
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度54分5.2秒 東経133度18分34.2秒 / 北緯33.901444度 東経133.309500度 / 33.901444; 133.309500座標: 北緯33度54分5.2秒 東経133度18分34.2秒 / 北緯33.901444度 東経133.309500度 / 33.901444; 133.309500
公式サイト公式ウェブサイト
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マイントピア別子(マイントピアべっし)は、愛媛県新居浜市にある別子銅山の施設跡などを利用したテーマパークである[1]。道の駅マイントピア別子を併設する。

最後の採鉱本部が置かれていた端出場(はでば)地区を開発した端出場ゾーンと、最盛期の拠点であった東平(とうなる)地区を開発した東平ゾーンがある。
端出場ゾーンマイントピア別子の本館

現在: 国領川上流部(別子ライン)のほぼ真ん中にあり、新居浜市街から川沿いの愛媛県道47号新居浜別子山線を通って立川町集落を抜け、斜張橋「端出場大橋」を渡ったエリアに広がる。本館には別子温泉?天空の湯?、キッズパーク、飲食・土産物コーナー、子供太鼓台展示・イベント展示場などがある。

本館2階の「端出場駅」から約400 mの観光鉄道が開設されており、片道3?4分で鉱山観光エリアと行き来できる。このエリアでは、旧火薬庫を改造して作られた観光坑道(長さ333 m)内に、江戸時代と近代の、別子銅山の様子が再現されている[2]。観光鉄道に使用されている蒸気機関車は住友別子鉱山鉄道で走っていた蒸気機関車「別子1号」をやや小さく復元した電気駆動式のものである。鉱山鉄道で実際に走っていた蒸気機関車は別子銅山記念館の玄関前に静態展示されている。2019年3月1日、観光列車がリニューアルされ、カゴ車や人車が連結され、より本物に近い列車となった[3]

屋外にはこの他、砂金採り場やバーベキュー食堂、季節の花園・芝生広場、イベント場などがあるマイントピア別子の中核である。

花園の種類:ソシンロウバイ山桜里桜染井吉野ミツマタサンシュユ(山茱萸)、シャクヤク(5月)、カラー金糸梅マリーゴールドサルビア(5月)。アジサイ(6月)、カノコユリ(7月)など

歴史: 銅山のテーマパークとして平成3年(1991年)6月5日オープンした。この地はかつて、別子銅山の最後となった採鉱本部が昭和5年(1930年)に東平から移って来た所である。明治26年(1893年)に下部鉄道の始発駅が完成した頃から、閉山の昭和48年(1973年)まで、別子銅山の中継地点から採掘現場になり、常に重要な地位を占めていた。主な遺跡は次の通り

泉寿亭の賓客用玄関と特別室の1室(旧泉寿亭特別室棟 登録有形文化財 平成21年8月7日指定):昭和12年に北新町に建設されたものを平成3年に同内に移設[4]。京風数寄屋造。中に自由に入って観覧できる。

旧端出場水力発電所(登録有形文化財 平成23年1月26日指定):明治45年完成。発電機などがそのまま残っていて、2023年3月28日より無料で内部の一般公開をしている。

旧別子鉱山鉄道端出場鉄橋「足谷川鉄橋」(登録有形文化財 平成21年8月7日指定):打除鉄橋(うちよけてっきょう)とも云う。対岸と約60度ずれたドイツハーコート社のピントラス橋で明治26年建設。観光鉄道として現在も使用中。

旧別子鉱山鉄道端出場隧道(登録有形文化財 平成21年8月7日指定):中尾トンネルで知られ、長さ92.55m幅員3m。観光鉄道として現在も使用中。

端出場貯鉱庫跡:大正8年完成。駐車場のすぐ脇にある。

第四通洞:標高156m。大正4年完成、長さ4596m。夏は内部から冷たい風が吹き出ている。さらに探索通洞に通じることにより筏津第二斜坑を経て全延長約10kmで筏津に行くことも可能になった。

大斜坑・粗鉱ビン跡:昭和43年9月完成の大斜坑は斜度約15度で延長4455m海面下約1000mに達っした。そこから採掘された粗鉱は4000tの能力がある粗鉱ビンに一時貯鉱された。粗鉱ビンは対岸の山の中腹に見えるが、その左にある大斜坑口は草木で埋もれ見えない。

下部鉄道跡:東平から索道で下ろされた鉱石は、ここ端出場から下部鉄道星越に運ばれた。

鹿森社宅:北側の大駐車場から鉄道跡をくぐって15分上がると、全盛期には約300戸約1300人の社員と家族が暮した社宅がある。[5]大正5年から建設し昭和45年3月に閉鎖された[6]。別子銅山関連に残る最大の石積で斜面に造られた社宅群の中央には277段の石段が上まで延びる。


端出場大橋

泉寿亭

旧端出場水力発電所

その発電所の内部

中尾トンネルを抜け打除鉄橋を走る別子1号

第四通洞

大斜坑・粗鉱ビン跡

下部鉄道跡

鹿森社宅の中央階段

別子1号リニューアル車

電気機関車

人車

集電は第三軌条方式

東平ゾーン東平の遺跡・貯鉱庫と索道停車場の跡廃墟になったその内部

端出場ゾーンより更に山側の、標高750m付近に位置する。それまで旧別子の東延にあった別子銅山の採鉱本部が大正5年に移って来てから、銅山設備の周りに社宅・小学校・娯楽場・接待館が建てられ、昭和5年に採鉱本部が端出場に移された後も、昭和43年に閉山するまで賑わった[7]。その生活の様子を模型や映像を使って紹介したり、銅にまつわる品々を展示したりする「東平歴史資料館」、レンガ造りの旧保安本部を活用して銅板レリーフなどを体験できる「マイン工房」、その他数々の産業遺跡が整備されている。また、旧東平中学校跡地が「銅山の里自然の家」になっていたがその使命を終え閉鎖され更地になった。現在は天空の歴史遺産「東洋のマチュピチュ」との宣伝文句で利用者数を増やしている。四国八十八景65番に選定。東平ゾーンへは県道からの進入路が崖崩れのため令和4年3月19日より令和5年3月末まで閉鎖されていたが、同年4月1日より再開し観光できる。主な遺跡は次の通り

東平貯鉱庫跡:1905年(明治38年)頃完成。現在は東平の象徴となっている[8]

東平索道停車場跡:上記設備の下にあり、上記同年完成。端出場と結んでいた。

旧保安本部:1904年(明治37年)頃完成。マイン工房として利用中。

旧インクライン:傾斜面を走る軌道で、現在は同内を上下移動する220段の階段として利用中。

小マンプ:短い方のトンネルで、現在は鉱山運搬機器展示場となっている。

大マンプ:長い方のトンネル。

第三通洞:1902年(明治35年)完成の標高747m延長1795m幅3.35m高さ3.73mの主要運搬坑道。

旧火薬庫:1912年(明治45年)から設置。坑口が横向きに掘られ爆発事故の際に爆風が直接出ない構造。

採鉱本部跡:1916年(大正5年)から1928年(昭和3年)までの間、ここに二階建ての採鉱本部があった。

旧第三変電所:1904年(明治37年)完成した。内部に入って見学できるものの、設備は無く廃墟である。

一の森:標高832m、大正4年(1915年)から昭和3年(1928年)まで大山積神社が祀られていたところで、神社前の100mの円周グランドがあり、祭りや運動会が行われていた。


歴史資料館と後方にマイン工房

歴史資料館の二階

旧インクライン

小マンプ

第三通洞

旧火薬庫

採鉱本部跡

旧第三変電所

一の森

アクセスと利用料金
端出場ゾーン
JR
新居浜駅からせとうちバスもしくは新居浜市運営のコミュニティバスに乗車。


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