マイティーダックス・オブ・アナハイム
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アナハイム・ダックス
Anaheim Ducks
カンファレンス
ウェスタン・カンファレンス
ディビジョンパシフィック・ディビジョン
創設年1993年 (31年前) (1993)
歴代チーム名マイティダックス・オブ・アナハイム
(1993 - 2006)
アナハイム・ダックス
(2006 - )
ホームアリーナホンダ・センター

ホームタウン アメリカ合衆国
カリフォルニア州アナハイム
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チームカラー黒、メタリックゴールド、オレンジ、シルバー
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メディア
オーナーヘンリ&スーザン・サミュエリ
GMパット・ヴェルビーク
ヘッドコーチダラス・イーキンス
キャプテン
獲得タイトル(獲得年)
スタンレーカップ優勝 (1回)
2007
アブコワールド (0回)
なし
カンファレンス優勝 (2回)
2003・2007
ディビジョン優勝 (6回)
2007・2013・2014・2015・2016・2017
プレジデンツトロフィー (0回)
なし

アナハイム・ダックス(Anaheim Ducks)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州アナハイムを本拠としているナショナルホッケーリーグNHL)所属のプロアイスホッケーチームである。

2005年までのチーム名はマイティダックス・オブ・アナハイム(アナハイム・マイティダックス)だった。
歴史
設立

このチームは1992年ウォルト・ディズニー・カンパニーによって設立された。チーム名は、アマチュア・ホッケーチームに属する若者達の奮闘を描いたディズニー映画のタイトル『The Mighty Ducks』(邦題:『飛べないアヒル』)にちなんで命名された(なお、伝統を重んじる保守的な立場からは、浅薄な名前であるとの批判もある)。ディズニー社は引き続き『マイティ・ダックス』と呼ばれるテレビアニメシリーズを製作し、擬人化されたアヒルで構成された虚構のチーム「マイティダックス・オブ・アナハイム」を登場させた。

1993年、設立後最初のドラフト抽選では、日系3世のポール・カリヤ (Paul Kariya) を第1巡目(全体では4番目)で指名。その後カリヤはキャプテンとして新興マイティダックスの大黒柱となり、チームを2003年のスタンレー・カップ決勝出場の栄光へと導く(カリヤはその後コロラド・アバランチへ移籍、ナッシュビル・プレデターズ?セントルイス・ブルースでプレーし2010-2011シーズン終了後引退)。
カリヤ、セラニの「ダイナミック・デュオ」時代ホームゲーム用ジャージ(初代)。アウェイ用はベース色が白から紺色に変わる。サプライヤーはCCM(KOHO),Starter,Nike,ProPayer。

1996年2月、シーズン途中でウイニペグ・ジェッツとの大型トレードでティーム・セラニを獲得。これによりカリヤ、セラニという当時のNHLを代表する強力な攻撃ライン「ダイナミック・デュオ」を持つようになった。また、カリヤはこのシーズンからアナハイムのキャプテンとしてもチームを引っ張っていく。

1996-1997シーズン、マイティ・ダックスは初のプレーオフ進出を果す。1997年プレーオフ1回戦でフェニックス・コヨーテズを4勝3敗で下すものの、準決勝でデトロイト・レッドウィングスの前に敗れ去った。

長野オリンピックを控えた1997-1998シーズンは日本でバンクーバー・カナックスを相手に開幕戦を行う(1997年10月、東京代々木第一体育館)。カリヤは契約のこじれから開幕戦から12月まで出場ができず、復帰後の翌年2月には試合中に激しいチェックを受け負傷、そのままシーズンを終えることとなる。アナハイムはそのあおりをくらい1998年のプレーオフ出場を逃す。

1998-1999シーズンは新しいヘッドコーチの下でウエスタン・カンファレンス6位に滑り込み1999年プレーオフ出場。しかし1回戦でデトロイト・レッドウィングスの前にまたしても敗れ去った。

1999-2000シーズンはプレーオフ圏内のサンノゼ・シャークスまで4Pと迫りながら上に行くことができずプレーオフ出場を逃す。

2000-2001年もシーズン途中にHCを解雇するなど低空飛行は変わらずウエスタン・カンファレンス最下位に沈み早々にシーズンが終わることとなる。このシーズン終了後、主力のひとりであるティーム・セラニがトレードでサンノゼ・シャークスにり移籍、アナハイムから離れることになりカリヤとのダイナミック・デュオは解散となった。
初のスタンレー・カップ決勝へ出場へ

2001-2002シーズンはセラニが去ったチームでカリヤが奮闘するもパシフィック・デイビジョン最下位、ウエスタン・カンファレンス全体でも15チーム中13位という結果で早々にシーズンが終わる。

2002-2003シーズンはマイティダックスでのチーム史上最も華々しい活躍を見せた年であった。シーズン途中でカルガリー・フレームズからロブ・ニーダーマイヤーを獲得し戦力を増強、レギュラーシーズンが進むほどしり上がりに調子を上げレギュラーシーズン終了時95Pを獲得しウエスタン・カンファレンス7位で2003年プレーオフ出場を果たす。プレーオフ1回戦で前年度のスタンレー・カップ覇者デトロイト・レッドウィングスをなんと4-0のスイープで撃破、対戦前の下馬評を覆し周囲を驚かせる。続く準決勝でダラス・スターズウェスタン・カンファレンス決勝でミネソタ・ワイルドを相次いで下し初のカンファレンス優勝を達成しスタンレー・カップ決勝に進出する。スタンレー・カップ決勝では第7戦までもつれ込んだがニュージャージー・デビルスの前に涙を飲んだ。プレーオフで活躍したゴーリーのジャン=セバスチャン・ジゲール (Jean-Sebastien Giguere) がスタンレー・カップ準優勝チームからとして初のコーン・スマイス賞を獲得した。
ポスト・カリヤ時代と「マイティダックス」の終焉

2003-2004シーズンを控えた2003年夏、アナハイムに衝撃が走る。残留と思われたポール・カリヤがFAでコロラド・アバランチへの移籍が決まる。セルゲイ・フェドロフ、ヴァーツラフ・プロスパルの加入、先シーズンのコーン・スマイス賞受賞ゴーリー、ジゲールの活躍はあったもののカリヤの抜けた穴はあまりにも大きく去年のような勢いは消滅、ウエスタン・カンファレンス12位でプレーオフ出場ならずシーズンを終える。また、このシーズンからマイティダックスの親会社であるディズニーがチームを手放すのではないかという身売りの話題が持ち上がり始める。

2004年から2005年のNHLロックアウトを経て2005年8月、ダックスはスーパースターのスコット・ニーダーマイヤー (Scott Niedermayer)を獲得した。所属していたニュージャージー・デビルスは労使交渉を経て2005年に設置されたサラリーキャップ内での、提示できる最大額を提示したが、弟のロブ (Rob)がダックスに所属していたので「Robと一緒にプレーしたい」ということで、デビルスに比べ条件の悪いダックスの提示に同意した。キャプテンが決まっていなかったダックスは即彼をキャプテンに指名した。同じくこの月にはニーダマイヤーの獲得のほかにもうひとつアナハイムを喜ばせる事件が起きる。かつてのアナハイムの主力のひとり、ティーム・セラニのアナハイム復帰が発表された。2005-2006シーズンは上記の補強に加え新人のライアン・ゲツラフ、コリー・ペリーとダスティン・ペナーの通称「キッド・ライン」の活躍もありウエスタン・カンファレンス6位で2006年プレイオフの出場を果たす。2006年プレーオフでは1回戦では第7戦までもつれながらカルガリー・フレームズを撃破、準決勝ではコロラド・アバランチをスイープで勝ちあがり久々のカンファレンス・ファイナルへ進むがカンファレンス・ファイナルではエドモントン・オイラーズに1-4で敗れスタンレーカップ決勝へは進めず。しかし来シーズンに期待が持てるチームになりつつあるのを実感したシーズンとなった。

また2005年2月に、ブロードコム社の共同創業者でありカリフォルニア州アーバイン在住のヘンリー・サミュエリ (Henry Samueli) が、チームをウォルト・ディズニー・カンパニーから買収する契約に調印。身売りの噂は真実のものとなりディズニーはこれで野球のアナハイム・エンゼルスに引き続きアナハイム・マイティダックスも手放してプロスポーツの運営から撤退した。新オーナーのサミュエリは買収にあたり、アナハイムからのチーム移転を否定、マイティダックスのアナハイム残留が決まった。
新生ダックスの誕生、そして初のスタンレーカップ獲得へホームゲーム用ジャージ(2代目)。


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