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マイスター・エックハルト(Meister Eckhart, 1260年頃 - 1328年4月30日以前)は、中世ドイツ(神聖ローマ帝国)のキリスト教神学者、神秘主義者。本名は、エックハルト・フォン・ホーホハイム(Eckhart von Hochheim)とされる[1]。
エックハルトは、ドイツのテューリンゲン近郊のタンバッハ(現在のタンバッハ=ディータルツ
)という村で生まれたと推測されている。パリ大学にてマイスターの称号を受ける。トマス・アクィナス同様、同大学で二度正教授として講義を行った。ドミニコ会のザクセン地方管区長やボヘミア地方司教総代理等を歴任した。
1326年、ケルンで神学者として活動していたエックハルトはその教説のゆえに異端の告発を受け、これに対し「弁明書」を提出。当時教皇庁があったアヴィニョンで同じく異端告発を受けたウィリアム・オッカムとともに審問を待つ間に、エックハルトは没した(教皇ヨハネス22世がケルン大司教ハインリヒ2世(ドイツ語版)へ宛てた1328年4月30日付の書簡に、エックハルトの審問が進行中であることと共に、エックハルトが既に亡くなったことが付記されていた)。
死後の1329年、教皇勅書"In agro dominico"によりエックハルトの命題は異端及び異端の疑いあり、の宣告を受け、著作の刊行・配布が禁止された(ただし、命題は当初の150から28に減らされ、「エックハルトが聖座の決定により自説を撤回した」とするなど、ある程度の配慮は示されていた)。これによって彼に関する記録はほとんどが失われたため、その生涯は上記の「弁明書」等から再構成されるのみであり、不明な部分が多く残されている。一方、著作はラテン語と中高ドイツ語で自筆及び写本によりごく一部ではあるが伝えられており、校訂版が1936年から刊行が開始され、2022年に完結した。ただし、中高ドイツ語の記録には他者が書き取ったものもあるとされ、真贋及び内容については議論がある。
ドミニコ会は、20世紀の後半になってバチカンにエックハルトの名誉回復を求めたが、バチカンは、否定したのはエックハルトの命題であって彼自身ではない、として名誉回復の必要はないとした[2]。 神との合一を、そして神性の無を説く。汝の自己から離れ、神の自己に溶け込め。さすれば、汝の自己と神の自己が完全に一つの自己となる。神と共にある汝は、神がまだ存在しない存在となり、名前無き無なることを理解するであろう このようなネオプラトニズム(新プラトン主義)的な思想が、教会軽視につながるとみなされ、異端宣告を受けることとなった。 エックハルトは、神はその源初において無というほかはないと述べる。この状態で神は安らぐことがない。神からロゴス(言葉)が発し、被造物が創造されることによってはじめて神は被造物において自分自身を存在として認識する。 この時の被造物に対する神は唯一の存在であり、それに対する被造物は無に過ぎない。被造物は神に生み出されることによって存在を持つのであって、被造物それ自体ではまだまったく持っていない。被造物はそれ自体では存在すらできない純粋な無である。
教義
神と被造物