マイケル・ラー
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マイケル・ラー(Michael Richard "Mike" Lah 1912年9月1日 - 1995年10月13日)はアメリカ合衆国イリノイ州出身のアニメーターである。

ウォルト・ディズニー・カンパニーを皮切りに、アニメーターとしてのキャリアをスタート。映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)移籍後はハーマンアイジング作品、ハンナバーベラによるトムとジェリーアニメーション制作スタッフなどを経て、テックス・アヴェリーのアニメーション制作スタッフとなり、日本でも知られる数々のアニメーション作品制作に貢献した一人である。監督としてはプレストン・ブレアとの共同制作で「クマのバーニー」、アヴェリーとの共同もしくは自らの制作で「ドルーピー」の作品を手がけた。MGM退社後はハンナ・バーベラ・プロダクションでアニメータの仕事についた後、テックス・アヴェリーと同じくアニメーションによるコマーシャルの分野へ転じ、ケロッグ社などのCMキャラクターを手がけた[1]。MGM時代にテックス・アヴェリーのアニメーターであったことで知られるが、そこでの実働は5年程度でさほど長いものではない。晩年は世界的なアニメーション振興団体(非営利団体)である国際アニメーション映画協会ハリウッド支部の委員を数年間務めた。1984年にはアニメーションの振興に長年貢献した功績からアニメーションの殿堂である「アニー賞ウィンザー・マッケイ賞)」に輝いた。

妻はウィリアム・ハンナの妻の双子の妹であった[2]

1995年10月13日、アメリカ合衆国ロサンゼルス死去。83歳。
作品一覧
クマのバーニー

(ブレアとの共同制作)

「バーニーの小包騒動」(THE BEAR AND THE BEAN 1948年1月31日)

「バーニーのうさぎ狩り」(THE BEAR AND THE HARE 1948年6月26日)

「海中探検」(GOGGLE FUSHING BEAR 1949年1月15日)

ドルーピー

(アヴェリーとの共同制作)

「呼べど叫べど」(DEPUTY DROOPY 1955年10月28日)

逃げてはみたけど」(CELLBOUND 1955年11月25日)※相方のスパイクのみ登場

(マイケル・ラー作品)

お金と友情」(GRIN AND SHARE IT 1957年5月17日)

いたずら教室」(BLACKBOARD JUMBLE 1957年10月4日)

竜退治」(ONE DROOPY KNIGHT 1957年12月6日)

まぬけなオオカミ」(SHEEP WRECKED 1958年2月7日)

スピード狂」(MUTTS ABOUT RACING 1958年4月4日)

幸福を呼ぶ小人」(DROOPY LEPRECHAUN 1958年7月4日)

ラー単独の作品からプロデューサーもフレッド・クインビーからハンナ=バーベラに交替し、アニメーターも一新されている。作品数こそ少ないが、複数の監督の下で幅広くアニメーション制作に携わってきたラーの経験が生かされ、アヴェリー作品にも見劣りしない出来となっており、「竜退治(1957年)」のようにアカデミー賞にノミネートされた作品もある。
脚注^ASIFA-Hollywood Animation Archive: Media: Mike Lah and Quartet Films Archived 2006-11-04 at the Wayback Machine.
^http://yowpyowp.blogspot.com/2015/03/lah-land.html

関連事項

テックス・アヴェリー

ドルーピー

ハーマンアイジング

ハンナバーベラ

プレストン・ブレア

トムとジェリー

クマのバーニー

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