マイケル・ベネット_(コロラド州の政治家)
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アメリカ合衆国政治家マイケル・ベネットMichael Bennet

生年月日 (1964-11-28) 1964年11月28日(59歳)
出生地 インド ニューデリー
出身校ウェズリアン大学
イェール・ロー・スクール
前職法曹
所属政党 アメリカ民主党
サイン
アメリカ合衆国上院議員
選挙区コロラド
当選回数2
在任期間2009年1月21日 -
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マイケル・ファランド・ベネット (英語: Michael Farrand Bennet、1964年11月28日 - )は、アメリカの実業家、法曹、及び政治家。民主党に所属しており、2009年からケネス・リー・サラザールの後任としてコロラド州選出の連邦上院議員を務めている。

デンバーにおいて教育長の職にあり、一時期オバマ政権の教育長官の候補者として名が挙げられていた。

2019年5月2日、2020年の大統領選に向けて、民主党指名候補に立候補することを発表した[1]が、2020年2月11日に撤退した[2][3]
生い立ち

1964年11月28日、インドのニューデリーにおいて、スザンヌ・クリスティンとダグラス・J・ベネット(英語版)の息子として生まれる[4][5]。彼の父であるダグラスは当時、駐インド大使だったチェスター・ボールズ(英語版)のアシスタントを務めていた[6]

母はユダヤ人で、1938年にポーランドのワルシャワに生まれ、1950年に家族とともに米国に移住したホロコースト経験者であり[7]、彼女の両親がワルシャワゲットーに収監されていたこともあった[8][9][10]図書館学を研究した[7]彼女は、小学校司書として働いていた[8]

一方、ベネットの父ダグラスはニュージャージー州生まれのキリスト教徒であった。ジミー・カーター大統領の下で米国国際開発庁を率い[11]NPRの会長およびCEOを経て、クリントン政権では国際機関総務次官補の職に就いた[6]。彼の祖父であるダグラス・ベネットもまた、フランクリン・ルーズベルト政権において経済顧問を務めた経験を持っていた。父側の家系をさらに遡れば、メイフラワー号の乗客としてアメリカに渡ってきた先祖まで辿れることがわかっている[12]

父がヒューバート・ハンフリー副大統領の補佐官を務めていた関係で、ベネットは幼少時代をワシントンD.C.で過ごした[13]。二年生の時、失読症であることが判明し、原級留置となる体験をした[14][15]。その後、男子校のプレップスクールであるSt. Albans School(英語版)に進学、この頃から高校生スタッフとして議会にも出入りするようになった[16][17]

ベネットは父と祖父の母校であるウェズリアン大学[18]へと入学、歴史学を専攻し、1987年に学士号を取得した[19][20]。 彼はさらにイェール大学ロースクールへと進学、法務博士となり、在学中には『イェール・ロー・ジャーナル』の編集長として活動していた[11]
初期のキャリア

ベネットは、イェール大へ進学する前から、オハイオ州知事のリチャード・セレステ(英語版)の補佐官となる経験をした[12]。ロースクールの卒業後は第四巡回区控訴裁判所の書記官として一年間勤務[21]。その後、 クリントン政権下で司法副長官の補佐を務めた[22]。この時期、父のダグラスも国際機関総務次官補として働いており、親子が同じ政権のスタッフとして働くこととなった。

1997年、コネチカット州の検察局において短い間働いた後[21]、ベネットは法曹界から離れるとともに、アメリカ西部へと移った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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