マイケル・ナイマン
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マイケル・ナイマン
Michael Nyman
マイケル・ナイマン
基本情報
出生名Michael Laurence Nyman
生誕 (1944-03-23) 1944年3月23日(80歳)
出身地 イギリス イングランドロンドン
ジャンルミニマルニューエイジ
職業作曲家ピアニスト
担当楽器ピアノ
活動期間1982年 -
公式サイト ⇒www.michaelnyman.com

マイケル・ナイマン(Michael Nyman、1944年3月23日 - )は、イギリスミニマル・ミュージック作曲家ピアニストオペラ台本作家、音楽学者、音楽評論家でもある。
略歴
1944年 -

1944年にロンドンで生まれたナイマンは、英国王立音楽院キングス・カレッジ・ロンドンで作曲法、音楽史、イギリスのバロック音楽を中心に学ぶ。在学中にルーマニア民俗音楽に興味を持ち、数度現地へ赴いている。

卒業後、カールハインツ・シュトックハウゼンピエール・ブーレーズなどが主流の当時の潮流になじめず、1976年まで目立つ作曲活動はしていない。その間、ナイマンは音楽評論家として活動し、音楽雑誌に頻繁に記事を書いており、ビートルズなどもその対象としていた。コーネリアス・カーデューの作品『The Great Digest』を評す際、当時は抽象絵画などを表現する時に用いていた単語「ミニマリズム」を文中で用い、音楽評論で初めて「ミニマル」の概念を持ち込んだのもこの頃(1968年)である。

1974年には、実験音楽についての研究論文『実験音楽 ケージとその後』を著し、ジョン・ケージの音楽がクラシック音楽の作曲家、パフォーマンス・アーティストたちに与える影響について考察し、のちの現代音楽評論に多大な影響を与えることとなった。

1976年に、ナイマンに転機が訪れる。イタリア劇作家カルロ・ゴルドーニの作品『Il Campiello』の上演で使われる、18世紀のヴェネツィア音楽のアレンジと演奏を委託されたのだ。ナイマンはレベックショーム等の古楽器と、ドラムサックスなどの近代的な楽器を取り入れた楽団を編成し、Campiello Bandと名づけた。終演後も楽団の維持を望んだナイマンは、バンド用の作品を作曲し始める。その間、ピーター・グリーナウェイ監督の映画『1-100』のための音楽を作曲したが、実際に映画で曲が使われることはなく、作品はデビュー・アルバム『ディケイ・ミュージック』として、ブライアン・イーノオブスキュア・レコードからリリースされた。バンドはのちにマイケル・ナイマン・バンドと改名し、ステージではアンプを使うようになり、弦楽のカルテット、テナー、アルト、ソプラノの3つのサックス、バストロンボーンエレクトリックベースドラムスピアノの構成へ移行していった。

また、1980年にはキング・クリムゾンロバート・フリップとともに、デヴィッド・カニンガム率いるニュー・ウェイヴ・バンド、フライング・リザーズのアルバムにゲスト参加し、音楽活動の幅を広げていった。
1982年 - (映画音楽の作曲家としての本格活動開始)

1982年には、ピーター・グリーナウェイ監督の映画『英国式庭園殺人事件』の音楽を担当。シンメトリーを強調する斬新な映像を多用した映画とともに、ミニマル・ミュージックを大胆に取り入れたナイマンの音楽は話題を呼んだ。1985年には再度グリーナウェイ監督と組み、『ZOO』の音楽を担当、1991年作『プロスペローの本』までの間、『数に溺れて』『コックと泥棒、その妻と愛人』等、1976年の作品を含むと、のべ11のグリーナウェイ作品を担当することとなる。

また、1986年にはオリバー・サックスの脳神経障害患者の研究をベースとして書かれたオペラ『妻を帽子とまちがえた男』の音楽も担当するなど、舞台音楽にも積極的に関わっていった。

1989年にはフランス革命200周年を記念した委託作品『La Traversee de Paris』の発表、フランス人映画監督パトリス・ルコントの『仕立て屋の恋』『髪結いの亭主』のサウンドトラック等、ナイマンの作曲活動は留まるところを知らず、次々と依頼が舞い込んでいった。
1992年 - (『ピアノ・レッスン』以降)

1992年、ナイマンにふたたび転機が訪れる。ジェーン・カンピオン監督の『ピアノ・レッスン』の音楽を担当し、映画がカンヌ国際映画祭パルムドールアカデミー賞オスカー3部門(脚本、主演女優、助演女優)を受賞し、注目を集めたのだ。スコットランドの民俗音楽やピアノソロ、流麗なオーケストラを用いたナイマンの音楽は、それまでナイマンの音楽を単なるミニマル・ミュージックや、グリーナウェイ作品の付属品と認識していた人々の考えを覆すとともに、普段映画音楽に興味を持たない人々の耳も惹きつけることとなった。サウンドトラックの売り上げは全世界で300万枚を突破。1989年に京都・京北国際芸術祭に初来日。1993年の来日時に取材した新聞記者を通じて黒澤明に次回作には自分を使ってくれるよう、『ピアノ・レッスン』のCDも渡して依頼するが、黒澤が骨折して療養生活に入り次回作を作る事なく脳卒中により死去したため、実現することはなかった。


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