マイケル・シェンカー
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出典検索?: "マイケル・シェンカー" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2023年11月)

マイケル・シェンカー
Michael Schenker
フランス『Hellfest 2022』公演(2022年)
基本情報
生誕 (1955-01-10) 1955年1月10日(69歳)
出身地 西ドイツ
ニーダーザクセン州・ヒルデスハイム郡・ザルシュテット
ジャンルハード・ロック
職業ギタリスト
活動期間1972年 - 現在
レーベルBMG
共同作業者スコーピオンズ
UFO
マイケル・シェンカー・グループ
マッコーリー・シェンカー・グループ
マイケル・シェンカーズ・テンプル・オブ・ロック
マイケル・シェンカー・フェスト
公式サイト ⇒Official Website
著名使用楽器
Gibson Flying V
Dean Signature V model
レズリー・ウェストなど

マイケル・シェンカー(ミヒャエル・シェンカー[注 1]、Michael Schenker、1955年1月10日 - )は、ドイツ出身のハードロックギタリスト。かつて、白と黒の2色で塗り分けられたギブソンのギター「フライングV」を使用していたことで有名[注 2]。日本ではアルバムの邦題から「神」とも称される。※邦題「神(帰ってきたフライング・アロウ)」(1980)

実兄はスコーピオンズのリーダーであるルドルフ・シェンカー、実妹はヴィーヴァのキーボーティストであるバーバラ・シェンカー。
来歴兄ルドルフ・シェンカー(G) 2014年初期MSG時代 (1983年)

兄であるルドルフ・シェンカーの影響で幼少期よりギターを始める。アマチュアバンド「コペルニクス」を結成し11歳で初ステージを踏み、17歳で「スコーピオンズ」のデビューアルバム『恐怖の蠍団』にリード・ギターとして参加した[注 3]

1973年6月、リードギターを探していた「UFO」からオファーを受け加入。これは、前年に「スコーピオンズ」が「UFO」のドイツ・ツアーの前座を務めた際、オリジナル・ギタリストのミック・ボルトン、2人目のギタリスト、ラリー・ウォリスの次に当時ギタリストとして在籍していたバーニー・マースデン[注 4]が突如失踪し、急遽マイケルを借りたという出来事がきっかけであった。

UFOには1978年まで在籍し6枚のアルバムに参加。UFOの世界的な成功に貢献する一方、メンバーとのコミュニケーションやアルコールの問題を抱えていた。

UFO脱退後、短期間ながら古巣のスコーピオンズに所属した後、1979年に自らのバンド「マイケル・シェンカー・グループ (通称:MSG)」を結成。デビューから1984年までに4枚のスタジオ・アルバムと2枚のライヴ・アルバムを発表。ロック・ギターの名手として一時代を築き、日本武道館でのコンサートも行われた。

ボーカルのロビン・マッコーリー加入にともない、1986年から1993年にかけては「マッコーリー・シェンカー・グループ」名義で活動。3枚のスタジオ・アルバムをリリースした。合間の1991年にはラットのサポートメンバーを務めた。

1993年、「UFO」の再結成に参加。新アルバムのレコーディングやライブ活動で1995年まで在籍した。1997年に再加入しツアーを行うも、1998年の日本公演の途中で演奏を放棄し無断帰国。そのままバンドはツアーを中止し解散。しかし2年後の2000年に復帰。3年後の2003年に4度目の脱退。

1996年、「マイケル・シェンカー・グループ」を再始動させる。近年は並行して自身のソロ・プロジェクトも行っている。

2006年には、ヴァッケンの野外コンサートで、息子で「Faster Inferno」のギタリストのタイソン・シェンカーと競演した。日本公演を行うも再びライブ途中で演奏を放棄し中止になる。

2011年、ソロアルバム「テンプル・オブ・ロック」を発表[1]。これ以降はこのアルバムから発展した「マイケル・シェンカーズ・テンプル・オブ・ロック」として活動を始め、精力的にワールドツアーを行う[2]

2016年、MSGの歴代メンバーが集うプロジェクト「マイケル・シェンカー・フェスト」の活動を開始。同年8月に来日公演を行った[3]
音楽性

奏法そのものはペンタトニック・スケール主体の極めてオーソドックスなロック奏法(セオリー通りの奏法)の積み重ねである。彼の使用するギターにはビブラート・ユニットが搭載されていないが、ネック・ベンディングによりアーミングに似た効果を出すこともある。

ネック・ベンディングを行う際、ヘッド裏を左手で押して音程を下げるのだが、あまりに強く押すのでネックが折れることがあり、リペアーマン泣かせであった。
機材グレコ製・フライングV - MSV650

かつて、白と黒にリフィニッシュしたギブソン・フライングVを長年使用していたが、現在はディーン製の様々なシグネイチャーモデルVシェイプ・ギターを使用している。1980年代にはアリア・プロUがマイケルのために用意したVシェイプ・ギターをサブとして使用したり、1990年にはウォーレン・デ・マルティーニRATT)の勧めでLAのPerformance Guitar社に製作依頼することになった白黒Vの発展バージョン(セットネック構造ではなくスルーネック構造が指定された)を使用した時期もある(このギターは後に盗難)。

このカラー・コーディネートに至ったきっかけは、白と黒のVを交互に演奏していて、ある時「1本のVをいっそのこと白と黒に塗ってしまおう」と思いついたからとのこと。

アンプは、MSG初期までマーシャルの1987を愛用。80年代後半からは一貫して、同じくマーシャルのJCM800 2205を愛用。1990年頃から当時のマーシャル社渾身の新製品であったJCM900の50W仕様のヘッド製品第一号機を発売前の半年以上前から世界の誰よりも早く貸与され使用を始め、アルバム「M.S.G.」を制作。当時HM/HR界隈で流行していた著名アンプ職人による希少な改造マーシャルによるレコーディングではなく、一般に流通する製品版のまま(しかも1台の個体で)アルバム丸ごと1枚を作ったことでJCM900のプロモーションに大いに貢献することになる。

エフェクトは、Jim Dunlop製DB01 Dimebag Signatureワウペダル、BOSS製のFV-500Lボリュームペダル、同社のDD-6、DD-3デジタルディレイ、CE-5、CH-1コーラス、TU-2チューナーを使用し、センド/リターン等は使わず、全てギターからアンプまで直列で接続して使用(2012年来日時)。

ディレイとコーラスが2個ずつセットされているのは、効き目を強くしたい時は2個同時ON、効き目を弱くしたい時は1個OFFという風な使い方をするため。


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