マイケル・クライトン
Michael Crichton
ハーバード大学にて(2002年4月18日)
ペンネームJohn Lange
Jeffery Hudson
Michael Douglas
誕生John Michael Crichton
(1942-10-23) 1942年10月23日
アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
死没2008年11月4日(2008-11-04)(66歳)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
職業作家
映画プロデューサー
映画監督
脚本家
テレビプロデューサー
医師
国籍 アメリカ合衆国
教育ハーバード大学(ハーバード・カレッジ)
ハーバード・メディカルスクール
活動期間1966年 - 2008年
ジャンルアクション小説
SF
テクノスリラー
影響を受けたもの
アーサー・コナン・ドイル
マーク・トウェイン
ジョージ・オーウェル
ジュール・ヴェルヌ[1]
公式サイト ⇒http://www.michaelcrichton.com/
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マイケル・クライトン(英語: Michael Crichton [?kra?t?n]、1942年10月23日 - 2008年11月4日)は、アメリカ合衆国の小説家、SF作家、映画監督、脚本家。 全世界で1億5千万部もの本を売ったベストセラー作家であり、多くの作品が映画化された。1994年にはテレビ(『ER』)、映画(『ジュラシック・パーク』)、書籍(『ディスクロージャー』)で同時に1位となる快挙を成し遂げた[2]。テレビドラマ『ER』では製作総指揮を務めパイロット版の脚本も手がけた。作品はアクション主体で、そこにテクノロジーも取り入れられている。一般にテクノスリラーと呼ばれるジャンルに分類され、テクノロジーとそれを扱う人間の間違いを描き、最終的に生物工学的大災害を生じるストーリーが多い。近未来を舞台にした小説では、医学や科学の知識を基盤としている。身長は206.6センチメートル(6'9)[3][4]。なお日本でマイケルの作品を多く出版する早川書房は著者名の表音、カナ表記をマイクル・クライトンとしており、同社以外の出版物・文献においてもこれにならった表記がなされることがある。 1942年10月23日にイリノイ州シカゴにて、ジョン・マイケル・クライトンとして誕生する[5]。父はジャーナリストで、2人の姉妹と弟が1人いる。クライトンはニューヨーク州のロングアイランドで育った[6]。子供のころから文章を書くのが好きで、14歳の時にはニューヨーク・タイムズの旅行関連のコラムに文章が採用されたことがある[2]。そのころから作家を志していた。1960年にハーバード大学のハーバード・カレッジに入学[2]。そこで、彼の作風を批判して異常に低い点をつける文学の教授に出会い、ある実験を試みることにした。彼はその疑惑を他の教授に伝えた上で、ジョージ・オーウェルの作品を故意に盗用したレポートを問題の教授に提出した。するとその教授は B- の評価をつけてレポートを返したという[7]。こうした問題もあって、クライトンは英文学から自然人類学に転向し、そちらで1964年に学士号を取得した[8]。1965年にはケンブリッジ大学で人類学の客員講師を務めたこともある。 その後ハーバード・メディカルスクールに入学し、同時に作家活動を開始した。その頃使ったペンネームがジョン・ラング(John Lange)とジェフリー・ハドソン(Jeffery Hudson)である。"Lange"はドイツ語の姓で"long"を意味する。ジェフリー・ハドソンはヘンリエッタ・マリア王妃に仕えた有名な小人である。どちらもクライトンの背が非常に高いことから発想したペンネームだった。『インナー・トラヴェルズ』の中で、彼が作者と知らずに『アンドロメダ病原体』(この作品はマイケル・クライトン名義で出版)の医学的間違いについてドクターたちが話していたというエピソードを語っている。ハドソン名義で出版した『緊急の場合は』で1969年のMWA賞を受賞。また、弟のダグラスとDealingという小説を合作し、マイケル・ダグラス(Michael Douglas)名義で出版した。その本の裏表紙には母親が撮影した幼いころの兄弟の写真を使っていた。 クライトンは1969年に医学博士号を取得してハーバードを卒業し、1969年から1970年までカリフォルニア州ラホヤのソーク研究所で研究生として研究を続けた。ハーバードで彼は「病は気から」が真実であると確信するようになった。『インナー・トラヴェルズ』で「我々は自ら病気になる。どんな病気も全てその本人に直接の責任がある」と書いている[9]。その後オーラ・スプーン曲げ・透視といった事柄も信じるようになった[9]。 作家デビュー作は『華麗なる賭け』で、1966年にジョン・ラング名義で出版された。コスタ・ブラバの隔絶されたホテルでの強盗事件の顛末を描いた215ページのペーパーバックである。強盗計画にクリティカルパス法のコンピュータプログラムを使うが、予測不能の事象が発生する。翌年『殺人グランプリ』を出版(1965年に執筆したものでこちらが処女作)。美男子の弁護士を主人公とする話で、ニースで暗殺者に間違われ危機に陥るというストーリーである。1968年には『ファラオ復活』と『緊急の場合は』を出版。『ファラオ復活』はエジプト学者を主人公とし、ヒエログリフを解読して未知のファラオの墓の場所を知るという話である。一方『緊急の場合は』はボストンの病理学者を主人公とする医療スリラーで、友人の産科医が不正な人工妊娠中絶を行い、若い女性を死なせた事件を追う話である。この作品はクライトンのターニングポイントとなった。これ以降、テクノロジーが重要な主題になっていく。
人物
学生時代まで
作家としての経歴
小説
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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