マイク・ミニョーラ
Mike Mignola
2011年6月撮影
本名マイケル・ジョーゼフ・ミニョーラ
Michael Joseph Mignola
生誕 (1960-09-16) 1960年9月16日(63歳)
アメリカ合衆国・カリフォルニア州バークレー
国籍 アメリカ合衆国
職業漫画家
代表作「ヘルボーイ」
受賞アイズナー賞ほか多数
(「受賞歴」の項を参照)
公式サイト ⇒The Art of Mike Mignola
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マイク・ミニョーラ(Mike Mignola、1960年9月16日[1] - )は、アメリカ合衆国の漫画家。カリフォルニア州バークレー生まれ[1]。代表作は『ヘルボーイ』。 マイケル・ジョーゼフ・ミニョーラ(Michael Joseph Mignola)は、1960年9月16日、カリフォルニア州バークレー市で生まれた。幼いころから幽霊やモンスターを好み、13歳でブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』を読んで以降は、ヴィクトリア朝時代の文学と民間伝承に強い関心を持った[1]。1980年からコミック・ファンの同人誌『ザ・コミック・リーダー』にイラストを寄稿し始め(第183号)、1981年に初めて表紙を描いた(196号)。1982年、カリフォルニア・カレッジ・オブ・ジ・アーツをイラストレーション専攻の美術学士号(BFA in Illustration)を取得して卒業し、「モンスターの絵を描いて暮らす」夢を持って、ニューヨーク市に移り住んだ(現在はカリフォルニア州に住む)[1]。 1982年、マーベル・コミック社でペン入れ担当(インカー)として「マスター・オブ・カンフー」を手がけるが、下手すぎて仕事が来なくなり、編集者の助言で下書き担当(ペンシラー)に転向する。この時期の「マーベル・ファンフェア」や「サブマリナー」の評判は高く、他の仕事も来るようになる[2]。1983年、『デアデビル』や『パワーマン&アイアンフィスト』などの作品にペン入れ担当で参加した。のちに『ハルク』などの作画を担当した。 1988年から1989年にかけて、ジム・スターリン
経歴
『ダーク・ナイト、ダーク・シティ』など、いくつかのバットマン・シリーズの表紙も手がけている[3]。
1990年代初めまでDCとマーベルの漫画雑誌で表紙やバックアップ・フィーチャー(タイトル作でない埋め草的作品)を手がけた。
1993年にダークホースコミックスに移籍したミニョーラは、1994年に初のオリジナル作品『ヘルボーイ』の第一作「破滅の種子」をジョン・バーンの脚本で刊行した。これ以降の『ヘルボーイ』シリーズはミニョーラ自身が脚本も書いている。しかし2007年からはダンカン・フィグレドやリチャード・コーベンなどが作画を担当するようになり、ミニョーラは脚本と表紙のみを担当するようになった。スピンオフ作品『BPRD』はジョン・アーチュディが脚本、ガイ・デイヴィスが作画であり、ミニョーラは表紙を描いている。2008年の読みきり「In the Chapell of Moloch 」は、2005年の「The Isaland 」以来初めてミニョーラが脚本と作画の両方を手掛けた作品である。
2012年末から始まったシリーズ「ヘルボーイ・イン・ヘル」は再びミニョーラ自身が作画している。 少年時代からの超自然的・神秘的なものに対する嗜好から、コントラストが強く影の多い画風が生まれた。1980年代末までに現在のスタイルを確立したミニョーラは、それにふさわしい作品として『ヘルボーイ』を作った[4]。アラン・ムーアは、ミニョーラの画風は「ドイツ表現主義とジャック・カービーの出会い」だと述べた[5] 。彼の画風はまたジャック・カービーとアレックス・トス
画風
絵のコントラストが強い理由として、パッと見てすぐ判るような絵を目指し、不必要なディティールは省略していると話す。過去に、ホルスターを描くのは好きだが、銃を描くのは苦手だと語っている[7]。 フランシス・フォード・コッポラの映画『ドラキュラ』(1992年)にイラストレーターとして参加し[8]、この映画の漫画版も執筆した。ディズニーの『アトランティス 失われた帝国 』(2001年)ではプロダクション・デザインを担当した。
映画とテレビ