マイク・ベルナルド
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マイク・ベルナルド基本情報
本名マイケル・ショーン・ベルナルド
(Michael Shawn Bernardo)
通称豪腕
ベルちゃん
南アフリカの剛腕
南アフリカの大砲
初代無冠の帝王
階級スーパーヘビー級
身長193cm
体重110kg
国籍 南アフリカ共和国
誕生日 (1969-07-28) 1969年7月28日
出身地 南アフリカ共和国
西ケープ州ケープタウン
死没日 (2012-02-14) 2012年2月14日(42歳没)
死没地 南アフリカ共和国
西ケープ州ケープタウン
剛柔流空手ボクシングキックボクシング
プロキックボクシング戦績
総試合数77
勝ち54
KO勝ち42
敗け18
引き分け3
無効試合2
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マイク・ベルナルド(Mike Bernardo、1969年7月28日 - 2012年2月14日)は、南アフリカ共和国の元キックボクサー、元プロボクサー西ケープ州ケープタウン出身。スティーブズジム所属。元WKAムエタイ世界スーパーヘビー級王者。元WAKO PROムエタイ世界スーパーヘビー級王者。

南アフリカ共和国ケープタウン出身。18歳まで剛柔流空手を学んでおり、後にキックボクシングに転向。「南アフリカの剛腕」「南アフリカの大砲」などの異名を持った。ピーター・アーツアーネスト・ホーストアンディ・フグと共に草創期のK-1四天王として君臨し、四天王やK-1デビュー前からのライバルであるジェロム・レ・バンナらと共にK-1の発展に大きく貢献した。

また、剃刀メーカーのCMなどを代表に、日本でも多くのテレビCMやバラエティ番組にも出演し、温厚で明るくサービス精神旺盛なキャラクターで、「ベルちゃん」の愛称で親しまれるなど、絶大な人気を誇った。
来歴
衝撃のK-1デビュー

1994年、ベルナルドの地元である南アフリカのケープタウンでのISKAフルコンタクト・インターコンチネンタルスーパーヘビー級王座戦で、ジェロム・レ・バンナと初対戦し、激闘の末に0-3の判定負け。しかし、この試合がお互いの持ち味が存分に発揮された名勝負であったために、K-1主催者から高く評価され、勝ったバンナはもちろん、負けたベルナルドもK-1に参戦することになった。

1995年3月3日、「K-1 GRAND PRIX '95」 で初来日。1回戦で優勝候補のアンディ・フグと対戦。1Rに先制のダウンを奪われるが、3Rに番狂わせの逆転KO勝ちを収めて一躍脚光を浴びる。

5月4日、「K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦」では準々決勝でスタン・ザ・マンに右上段蹴りでKO勝ち。準決勝でジェロム・レ・バンナとのリベンジ戦が実現するが右ローキックでKO負け。K-1 GP初出場でベスト4入りを果たした。

9月3日、「K-1 REVENGE II」にてアンディ・フグと再戦し、またしても豪快なKO勝ちを収めてフグを返り討ちにして前回の勝利がフロックでないことを証明した。

12月9日、「K-1 HERCULES」にてK-1 GPを2連覇中の王者ピーター・アーツと初対戦し、右フックを浴びて1Rわずか40秒でKO負け。KOされた右フックがベルナルドの後頭部を直撃しており、反則であることをレフェリーに主張したが、故意ではなく一連の流れの中で当たったものとみなされ、秒殺KO負けした悔しさもあいまって人目をはばからず悔し涙を流した。
トップスター入り

1996年3月10日、「K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦」の1回戦ではジェフ・ルーファスにKO勝ち。

5月6日、「K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦」の準々決勝にて、K-1史上最多連勝記録を更新中で、GP3連覇を狙う絶対王者ピーター・アーツと対戦。アーツを圧倒し、最後は左フック一撃で豪快なKO勝ちでリベンジを果たした。続く準決勝でムサシ(武蔵)に3-0の判定勝ち。決勝でアンディ・フグと対戦し、ローキックとフグ・トルネードでダウンを奪われてKO負けし、惜しくも準優勝に終わる。

9月1日、「K-1 REVENGE '96」でピーター・アーツと再戦。アーツの蹴りがローブローとなってベルナルドが試合続行不可能となり、反則勝ちとなった。

10月8日、「K-1 STAR WARS '96」で決着を着けるべく、ピーター・アーツと再戦。先制のダウンを奪われるが、その後に猛反撃し、3RKO勝ち。

1997年3月16日、「K-1 KINGS '97」で佐竹雅昭と対戦し、2RKO勝ち。

4月9日、「K-1 BRAVES '97」でアーネスト・ホーストと対戦し、ダウンを奪うが、ホーストの巧みなコンビネーションの前に沈み、4R逆転KO負け。なお、ホーストは自身の生涯ベストバウトにこの試合を挙げている。

6月7日、アンディ・フグの母国スイスで開催された「K-1 FIGHT NIGHT '97 ?THE DECISION?」にて、フグの持つWKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座に挑戦し、ダウンを奪いながらも巧みな戦術のフグを倒しきれずに判定負け。

11月9日、「K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦」の準々決勝でピーター・アーツと対戦し、右ボディストレートで2度のダウンを奪われて3RKO負け。

1998年4月9日、「K-1 KINGS '98」でWAKO-PRO世界ムエタイスーパーヘビー級王者ゴードン・マイナーズに挑戦し、2RKO勝ちで同王座を獲得。自身のキャリアで初めての世界王座獲得となり、試合後のリング上では人目をはばからず嬉し涙を流した。

7月18日、「K-1 DREAM '98」にてグラウベ・フェイトーザと対戦し、3度ダウンを奪って1RKO勝ち。

9月27日、「K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦」でのGP1回戦でモーリス・スミスに判定勝ち。

12月13日、「K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦」のGP準々決勝で、快進撃を続けていたフランシスコ・フィリォから2度ダウンを奪って3RKO勝ち。フィリォはこれが生涯初のKO負けとなった。準決勝ではピーター・アーツとの通算6度目の対戦で、1RKO負け。

1999年6月20日、「K-1 BRAVES '99」にてWAKO-PRO世界ムエタイスーパーヘビー級王座の初防衛戦でサム・グレコと対戦し、壮絶な激闘の末に判定負けで同王座から陥落。

10月3日、「K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦」のGP1回戦でミルコ・クロコップと対戦し、ミルコの左ハイキックとパンチ連打で3度ダウンを奪われ、番狂わせの1RKO負け。ミルコはこの勝利をきっかけにスターダムへと駆け上がっていった。
プロボクシング転向

ベルナルドがミルコに敗れた同日、ライバルのジェロム・レ・バンナがキックボクシングと並行してプロボクシングに参戦した後のK-1復帰初戦でマット・スケルトンに衝撃の1RKO勝ちを収めて大活躍し始めたのを目の当たりにしたことで、バンナを参考にしてベルナルドも2000年からプロボクシングに本格参戦することを決意。

2000年5月12日にはマイナー団体ではあるがプロボクシング団体・WBFの世界ヘビー級王座を獲得。

7月30日、「K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA」ではK-1の大会内でプロボクシング公式戦を戦った。

2001年6月8日、ピーター・マクニーリーに1RTKO勝ちでWBF世界ヘビー級王座の初防衛に成功。

1999年までは積極的に前に出て猪突猛進にパンチを振り回すファイトスタイルだったが、プロボクシング経験後はカウンターも駆使したスタイルへと変化した。


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