マイク・フォンテノー
Mike Fontenotフィリーズ時代(2012年6月10日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ルイジアナ州セントタマニー郡スライデル
マイケル・ユージーン・フォンテノー(Michael Eugene "Mike" Fontenot, 1980年6月9日 - )は、アメリカ合衆国・ルイジアナ州セントタマニー郡スライデル出身の元プロ野球選手(内野手)。
シカゴ・カブス所属時は、ルイジアナ州立大学でもチームメイトであったライアン・テリオと共に、ルイジアナ州に多い沼地から、「バイユー・ボーイズ」とも呼ばれていた。 サルメン高等学校卒業後の1999年、MLBドラフト21巡目(全体625位)でタンパベイ・デビルレイズから指名されたが拒否し、ルイジアナ州立大学へ進学。 2000年はチームの主軸として活躍し、カレッジ・ワールドシリーズの優勝に貢献。「All-Tournament Team」の二塁手部門で選出された[1]。また、「Baseball America First-Team Freshman All-American」、「Collegiate Baseball National Co-Freshman of the Year」「The Sporting News National Freshman of the Year」「Southeastern Conference Freshman of the Year」など数々の新人賞を受賞した。 2001年、MLBドラフト1巡目(全体19位)でボルチモア・オリオールズから指名され、9月5日に契約。 2002年はA+級フレデリック・キーズ 2003年はAA級ボウイ・ベイソックスで126試合に出場し、12本塁打66打点16盗塁、打率.325だった。 2004年はAAA級オタワ・リンクスで136試合に出場し、8本塁打49打点14盗塁、打率.279だった。 2006年はメジャー昇格はなく、AAA級アイオワで111試合に出場し、8本塁打36打点5盗塁、打率.296だった。 2007年はAAA級アイオワで開幕を迎え、5月15日にメジャー昇格した[7]。同日のニューヨーク・メッツ戦でアラミス・ラミレスの代打として、8点リードの8回表に出場し、アンビオリックス・バーゴス
経歴
プロ入り前
オリオールズ傘下時代
カブス時代と共にシカゴ・カブスへ移籍[2]。AAA級アイオワ・カブスで開幕を迎え、4月11日にメジャー初昇格を果たした[3]。4月13日のサンディエゴ・パドレス戦で代走としてメジャーデビュー。4月23日にAAA級アイオワへ降格した[4]が、5月13日に再昇格。5月20日に再び降格した[5]。この年はメジャーで7試合に出場した。AAA級では111試合に出場し、6本塁打39打点3盗塁、打率.272だった。11月19日に40人枠から外れ、マイナー契約となった[6]。
2008年は自身初の開幕ロースター入りを果たし[12]、119試合に出場。9本塁打40打点2盗塁、打率.305だった。
2009年2月25日にカブスと1年契約に合意[13]。135試合に出場し、9本塁打43打点4盗塁、打率.236だった。
2010年1月19日にカブスと1年契約に合意[14]。75試合に出場し、1本塁打20打点1盗塁、打率.284だった。 2010年8月11日にエバン・クロフォード
ジャイアンツ時代
2011年は開幕ロースター入りを果たしたが、5月25日のフロリダ・マーリンズ戦で股関節を痛め、5月26日に故障者リスト入りした[16]。7月8日に復帰。この年は85試合に出場し、4本塁打21打点5盗塁、打率.227だった。12月12日にジャイアンツと1年契約に合意した[17]。
2012年3月30日に放出された[18]。 2012年4月13日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ[19]。5月12日にメジャー昇格。5月18日のボストン・レッドソックス戦で右手を負傷したが、5月21日に復帰。
フィリーズ時代