マイク・フォンテノー
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マイク・フォンテノー
Mike Fontenot
フィリーズ時代(2012年6月10日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ルイジアナ州セントタマニー郡スライデル
生年月日 (1980-06-09) 1980年6月9日(43歳)
身長
体重5' 8" =約172.7 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション二塁手, 三塁手
プロ入り2001年 ドラフト1巡目(全体19位)でボルチモア・オリオールズから指名
初出場2005年4月13日
最終出場2012年7月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


サルメン高等学校

ルイジアナ州立大学

シカゴ・カブス (2005, 2007 - 2010)

サンフランシスコ・ジャイアンツ (2010 - 2011)

フィラデルフィア・フィリーズ (2012)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

マイケル・ユージーン・フォンテノー(Michael Eugene "Mike" Fontenot, 1980年6月9日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州セントタマニー郡スライデル出身の元プロ野球選手内野手)。

シカゴ・カブス所属時は、ルイジアナ州立大学でもチームメイトであったライアン・テリオと共に、ルイジアナ州に多い沼地から、「バイユー・ボーイズ」とも呼ばれていた。
経歴
プロ入り前

サルメン高等学校卒業後の1999年、MLBドラフト21巡目(全体625位)でタンパベイ・デビルレイズから指名されたが拒否し、ルイジアナ州立大学へ進学。

2000年はチームの主軸として活躍し、カレッジ・ワールドシリーズの優勝に貢献。「All-Tournament Team」の二塁手部門で選出された[1]。また、「Baseball America First-Team Freshman All-American」、「Collegiate Baseball National Co-Freshman of the Year」「The Sporting News National Freshman of the Year」「Southeastern Conference Freshman of the Year」など数々の新人賞を受賞した。
オリオールズ傘下時代

2001年、MLBドラフト1巡目(全体19位)でボルチモア・オリオールズから指名され、9月5日に契約。

2002年はA+級フレデリック・キーズで122試合に出場し、8本塁打53打点13盗塁、打率.264だった。

2003年はAA級ボウイ・ベイソックスで126試合に出場し、12本塁打66打点16盗塁、打率.325だった。

2004年はAAA級オタワ・リンクスで136試合に出場し、8本塁打49打点14盗塁、打率.279だった。
カブス時代

2005年2月2日サミー・ソーサとのトレードでデイブ・クロウザースと共にシカゴ・カブスへ移籍[2]。AAA級アイオワ・カブスで開幕を迎え、4月11日にメジャー初昇格を果たした[3]4月13日サンディエゴ・パドレス戦で代走としてメジャーデビュー。4月23日にAAA級アイオワへ降格した[4]が、5月13日に再昇格。5月20日に再び降格した[5]。この年はメジャーで7試合に出場した。AAA級では111試合に出場し、6本塁打39打点3盗塁、打率.272だった。11月19日に40人枠から外れ、マイナー契約となった[6]

2006年はメジャー昇格はなく、AAA級アイオワで111試合に出場し、8本塁打36打点5盗塁、打率.296だった。

2007年はAAA級アイオワで開幕を迎え、5月15日にメジャー昇格した[7]。同日のニューヨーク・メッツ戦でアラミス・ラミレスの代打として、8点リードの8回表に出場し、アンビオリックス・バーゴスからメジャー初安打初打点となる適時二塁打を放った[8]5月18日にAAA級アイオワへ降格した[9]6月9日に再昇格[10]6月10日アトランタ・ブレーブス戦では7回表にバディ・カーライルからメジャー初本塁打を記録した[11]。86試合に出場し、3本塁打29打点5盗塁、打率.278だった。

2008年は自身初の開幕ロースター入りを果たし[12]、119試合に出場。9本塁打40打点2盗塁、打率.305だった。

2009年2月25日にカブスと1年契約に合意[13]。135試合に出場し、9本塁打43打点4盗塁、打率.236だった。

2010年1月19日にカブスと1年契約に合意[14]。75試合に出場し、1本塁打20打点1盗塁、打率.284だった。
ジャイアンツ時代

2010年8月11日にエバン・クロフォードとのトレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍[15]。28試合に出場し5打点、打率.282だった。12月2日にジャイアンツと1年契約に合意した。

2011年は開幕ロースター入りを果たしたが、5月25日フロリダ・マーリンズ戦で股関節を痛め、5月26日に故障者リスト入りした[16]7月8日に復帰。この年は85試合に出場し、4本塁打21打点5盗塁、打率.227だった。12月12日にジャイアンツと1年契約に合意した[17]

2012年3月30日に放出された[18]
フィリーズ時代

2012年4月13日フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ[19]5月12日にメジャー昇格。5月18日ボストン・レッドソックス戦で右手を負傷したが、5月21日に復帰。


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