マイク・パグリアルーロ
Mike Pagliarulo2011年11月17日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地マサチューセッツ州ミドルセックス郡メドフォード
生年月日 (1960-03-14) 1960年3月14日(64歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション三塁手、二塁手
プロ入り1981年 MLBドラフト6巡目(全体155位)でニューヨーク・ヤンキースから指名
初出場MLB / 1984年7月7日
NPB / 1994年4月9日
最終出場MLB / 1995年10月1日
NPB / 1994年8月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
メドフォード高等学校
マイケル・ティモシー・パグリアルーロ(Michael Timothy "Mike" Pagliarulo , 1960年3月15日[1] - )は、アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ミドルセックス郡メドフォード出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投左打。
経歴
現役時代AAA級ナッシュビル時代
(1983年)
1981年のMLBドラフト6巡目(全体155位)でニューヨーク・ヤンキースから指名され、プロ入り。1984年、メジャー初昇格。ヤンキースでは強打の三塁手として活躍する。1989年シーズン途中にサンディエゴ・パドレスに移籍し、1991年にミネソタ・ツインズに移籍。ツインズでは1991年のワールドシリーズ制覇に貢献。1993年8月15日に後日発表選手とのトレード(翌日に交換相手はエリック・シュールストロムと発表された)でボルチモア・オリオールズに移籍。オリオールズではレオ・ゴメスが故障で戦線離脱しており、代役の三塁手としてシンシナティ・レッズのクリス・セイボーの獲得を目指したが交渉は不調に終わっていた[2](なおセイボーは同年シーズンオフにオリオールズに移籍)。
1993年12月2日、福岡ダイエーホークスとの争奪戦の末、西武ライオンズに入団。1994年シーズン内野ならどこでも守れ、シュアなバッティングも期待された。しかし、実際にはメジャー・マイナーで1500試合以上出場しているが、セカンドは1試合(2イニング・守備機会0)守ったことがあるだけ[3]、それでも日本ではセカンドを18試合守ることとなった。結局、期待通りの働きは出来ず、シーズン中に負傷。同年限りで退団した。
西武退団後の翌1995年にテキサス・レンジャーズでメジャー復帰を果たすものの、同年限りで現役引退。 現役引退後はスカウト会社「インターナショナルスカウト」のアジア・太平洋地区担当を務めた後、2017年シーズンからはマイアミ・マーリンズの打撃コーチを務める[4]。2019年4月19日に解任された[5]。
引退後