マイク・タイソン_対_ジェームス・ダグラス戦
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マイク・タイソン 対 ジェームス・ダグラス開催日1990年2月11日
認定王座
WBAWBCIBF世界ヘビー級王座
開催地東京
会場東京ドーム
観衆51600人[1]
リングアナジミー・レノン・ジュニア
放送局日本テレビHBO PPV
実況・解説NTV
芦沢俊美
ファイティング原田
浜田剛史
長嶋茂雄(ゲスト)
HBO
ジム・ランプリー
ラリー・マーチャント
シュガー・レイ・レナード
視聴率38.3%

マイク・タイソン 対 ジェームス・ダグラス
アイアンバスター
比較データ
ニューヨーク州ニューヨーク市出身地オハイオ州コロンバス
37勝(33KO)0敗戦績28勝(18KO)4敗1分1無効試合
統一世界ヘビー級王座評価WBC3位・WBA4位

結果ダグラスの10回KO勝ち
主審オクタビオ・メイラン(英語版)
副審ラリー・ロザディラ(米国)
森田健
内田正一

マイク・タイソン 対 ジェームス・ダグラス戦は、1990年2月11日に東京東京ドームで行われたプロボクシング統一世界ヘビー級タイトルマッチである[2]。タイソンが圧倒的有利とみなされていた中で10回KOで敗れた試合で、ボクシングで最大の番狂わせの一つとされている。
解説

1988年のトニー・タッブス戦以来2年ぶりとなるマイク・タイソンの東京での試合。今回もアメリカ東海岸のゴールデンタイムに合わせるため昼の午後0時半に開催された[3]。なお東京ドームは前日に新日本プロレス'90スーパーファイトIN闘強導夢」が行われたため、リングや客席もそのまま流用されたという。

興行はドン・キング・プロダクション帝拳の合同興行。スポンサーはタイソンをCMに起用しているトヨタ自動車が務めた。チケットは最高で15万円であり、最も安い席は5000円であった。リングサイド席には、アメリカの不動産王で後に第45代アメリカ合衆国大統領となるドナルド・トランプ夫妻の姿もあった。

23歳のタイソンはデビュー以来37戦全勝(33KO)、3団体のベルトを統一し、ヘビー級タイトルマッチ10連勝中と敵なしの状態。29歳のダグラスは3年ぶり2度目のタイトル挑戦だが、キャリアで4敗しており、世界的には無名の選手だった[4]。タイソンにとっては無難なマッチメイクで、6月に予定されているイベンダー・ホリフィールドとの対戦に向けての調整試合とみるむきもあった。ホリフィールドはTV中継のゲストとして試合を観戦していた。

タイソンは試合26日前に大勢の取り巻きを連れて来日し、東京ドーム近くの特設ジムで調整を続けていたが、元WBA王者グレッグ・ペイジとの公開スパーリングでダウンを喫するなど、不調を思わせる場面はあった。それでもタイソン勝利の予想は変わらず、メディアは最短KO記録更新なるかという話題を扱った。ラスベガスのカジノでは42対1というオッズがついた[4]

タイソンは試合前夜にパーティーを開き、歌手のボビー・ブラウンから早く寝て試合に備えるよう忠告されるなど、ダグラスを舐めきっていた。一方ダグラスも試合の23日前に母親を亡くし妻とも離婚寸前で、自身も試合前日にインフルエンザにかかるなど心身共に盤石では無かった[5]
試合

試合は序盤からダグラス優勢という予想外の展開となる。タイソンは相手に襲いかかるようなスピードがなく、フットワークとクリンチを上手く使うダグラスを捉え切れず、また、上体を揺らすディフェンスも緩慢で、ダグラスの長いリーチから放たれる左ジャブ・右ストレートを顔面に浴び続けた。ラウンドが進むにつれ、タイソンの左まぶたは腫れあがっていったが、セコンドは治療用のエンスウェルを用意しておらず、ゴム手袋で即席の氷嚢をつくるという始末だった。

第8ラウンド終了間際、接近戦の中でタイソンの放った右ショートアッパーが炸裂し、ダグラスは仰向けにダウン。カウント9で立ち上がったところでラウンドが終了した。

第9ラウンド、今度はダグラスが反撃し、終盤ロープ際でラッシュをかけ、タイソンを棒立ちにさせる。

第10ラウンド1分過ぎ、ダグラスの右アッパーがヒットし、続く3連打でタイソンが崩れるようにダウン。口からこぼれたマウスピースをくわえて立ち上がろうとするが、レフェリーストップでKO勝ち[6]、ダグラスがヘビー級新チャンピオンとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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