マイク・ザンビディス
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出典検索?: "マイク・ザンビディス" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年11月)

マイク・ザンビディス基本情報
本名ミカリス・ザンビディス
Μιχ?λη? Ζαμπ?δη?
階級ミドル級K-1
身長167cm
体重70kg
国籍 ギリシャ
誕生日 (1980-07-15) 1980年7月15日(43歳)
出身地アテネ
所属アイアン・ジム
→ザンディビス・クラブ
スタイルキックボクシング松濤館流空手
プロキックボクシング戦績
総試合数181
勝ち157
KO勝ち87
敗け24
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マイク・ザンビディス
YouTube
チャンネル

Iron Mike Zambidis

活動期間2011年1月13日 -
ジャンルスポーツ
登録者数4.55万人
総再生回数13,281,095回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2021年1月時点。
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マイク・ザンビディス

マイク・ザンビディス(Mike Zambidis、1980年7月15日 - )は、ギリシャ男性キックボクサープロボクサーアテネ出身。元SUPERKOMBATミドル級王者。
来歴
アマチュア時代

6歳まで体操をしていたザンビディスは、その後松濤館流空手を2年間経験し茶帯を獲得。

11歳の時に空手道場でキックボクシングの練習を開始。練習を始めて2か月程度で試合に参加し、キックボクシングのギリシャ・ジュニア王者のタイトルを獲得した。

15歳になる頃には既にキックボクサーとして大人とも対戦し、16歳でアマチュア戦歴は60戦48KOに達していた。

16歳から3年間アマチュアボクシングも経験。国内王者となり、ジュニアナショナルチーム入りを果たした。アテネオリンピックの際にはギリシャ代表候補にもなったが、K-1を優先させるために辞退した。

同時期、ギリシャで開催された「Best of the Best」75kgトーナメントに負傷して試合に参加できなくなった選手の代わりに参加。体重62kgではあったものの3試合を勝ち抜き優勝し、この時を境にプロキックボクサーとなることを決意。
プロキックボクサー時代

2000年11月19日、オーストラリアで開催された「K-1 Oceania Star Wars 2000」のスーパーファイトに出場。スタン・ザ・マンが創設した世界オリンピックキックボクシング協会(WOKA)の世界スーパーウェルター級王者決定戦でバリス・ネジフと対戦。12RにレフェリーストップによるTKO勝ちで王座を獲得した。

2001年4月3日、オーストラリアビクトリア州メルボルンクラウンで行われたWAKOの防衛戦で、クロングサック・レック(タイ)を執拗なボディ攻撃で、8RにレフェリーストップによるTKO勝ちで同王座の防衛に成功する。

2001年11月11日、「K-1 WORLD MAX OCEANIA 2001」に出場。1回戦でマイク・コープに1RでTKO負けを喫した。

2002年11月26日、「K-1 WORLD MAX OCEANIA 2002」に出場。1回戦でビリー・マムーに2RKO勝ち、続く準決勝ではジェンク・ベヒックに3RKO勝ち、決勝ではジョン・ウェイン・パーを3R判定勝ちで下し優勝。

2003年2月18日、オーストラリア・メルボルンで開催された「NO RESPECT」でISKA世界スーパーウェルター級タイトルマッチ(2分12R)をニクラス・ヴィンベリ(スウェーデン)と行う。3Rに2度のスタンディングダウンを奪うと、直後に右フックでKO勝ちし、王座防衛を果たした。

2003年3月1日に来日。「K-1 WORLD MAX 2003 ?日本代表決定トーナメント?」のスーパーファイトで、初代優勝者アルバート・クラウスと対戦し、2R右フックでKO勝ち。初代王者から奪った衝撃的なKO劇で名を高めた。

2003年5月17日、イタリアミラノで開催された「KING OF THE RING」のスーパーウェルター級トーナメントに出場し、3試合勝利し優勝。7月5日に「K-1 WORLD MAX 2003 ?世界一決定トーナメント?」の1回戦で魔裟斗と対戦し終始優勢に試合を進めるも、ダウンを奪われ判定負け。

2004年4月7日、「K-1 WORLD MAX 2004 ?世界一決定トーナメント開幕戦?」の1回戦でHAYATOと対戦。3Rに右フックでダウンを奪い判定勝ち。7月7日、「K-1 WORLD MAX 2004 ?世界一決定トーナメント?」の準々決勝で小比類巻貴之と対戦、判定負け。8月にナソス・アルギロプロス(元ギリシャムエタイスーパーミドル級王者)を新しいトレーナーとした。

2004年11月28日、オーストラリア、メルボルンで開催された76kg級のワンデイトーナメント「A-1 World Combat Cup」に出場。1回戦でピート・スプラットに2RKO勝ち、準決勝でグルカン・オスカンに判定勝ち、決勝戦でプリンス・ハミッドに判定勝ちを収め、優勝を果たした。

2005年3月12日、シドニーで開催された「GREECE&SERBIA FIGHTS THE WORLD」のキング・オブ・ザ・リング世界ミドル級タイトルマッチで、ゴラン・ボロビッチ(クロアチア)を5Rに右フックでKOし、新王者となった。4月30日、フランスリヨンで開催された「A-1 World Combat Cup」に出場予定であったが、出場をキャンセルした。

2005年5月4日に「K-1 WORLD MAX 2005 ?世界一決定トーナメント開幕戦?」のスーパーファイトに出場。山本"KID"徳郁と対戦、右フックで失神KO勝ち。

2005年7月20日、「K-1 WORLD MAX 2005 ?世界一決定トーナメント決勝戦?」の準々決勝で魔裟斗と2年ぶりに再戦。3Rにダウンを奪われ、判定負け。

2005年11月7日、オーストラリアのメルボルンで開催された「NO RESPECT 3」にて、WKBF世界スーパーウェルター級王座に挑戦。カラ"ザ・スーパートルク"ムラット(トルコ)に5R3-0の判定勝ちで同王座を獲得。

2006年4月5日、「K-1 WORLD MAX 2006 ?世界一決定トーナメント開幕戦?」の1回戦で佐藤嘉洋と対戦、判定負け。

2006年6月28日、K-1 WORLD MAX 2007 ?世界一決定トーナメント開幕戦?の1回戦でドラゴに延長判定勝ち。

2007年10月3日、「K-1 WORLD MAX 2007 ?世界一決定トーナメント決勝戦?」の準々決勝でアルトゥール・キシェンコに延長判定負け。終始キシェンコのリーチとブロックワークに苦戦していた。

2008年3月3日、オーストラリア・メルボルンのボーダフォンアリーナで行われた、「NO RESPECT 4」のA1世界ミドル級タイトルマッチでダニエル・ドーソンと対戦。判定勝ちした。

2008年4月9日、K-1 WORLD MAX 2008のトーナメント1回戦で前年度王者のアンディ・サワーと対戦。延長Rまで縺れ込むも、最後は左ハイキックでKO負け。

2008年7月7日、K-1 WORLD MAX 2008のトーナメント敗者復活戦でアルバート・クラウスと対戦し、3R終了時、左目カットによるTKO負け。

2009年5月8日、オーストラリア・メルボルンで開催された「It's Pay Back Time」でジョン・ウェイン・パーと再戦し、5R判定負け。

2009年11月20日、War of the Worldsにてジャバル・アスケロフと対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。

2010年10月3日、K-1 WORLD MAX 2010 FINAL16シャヒッドと対戦し、両者ダウンを奪い合う激闘となり、延長Rに右フックでダウンを奪い3-0の判定勝ちを収めた[1]

2010年11月8日、K-1 WORLD MAX 2010 FINALの準々決勝で長島☆自演乙☆雄一郎にKO勝ちするも、続く準決勝でジョルジオ・ペトロシアンに0-3の判定負けを喫した。


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