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Microsoft Corporation
ワシントン州レドモンドの本社
種類公開会社
市場情報NASDAQ MSFT
略称MS、MSFT
本社所在地 アメリカ合衆国
98052-6399
ワシントン州 レドモンド ワンマイクロソフトウェイ
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度38分23秒 西経122度7分42秒 / 北緯47.63972度 西経122.12833度 / 47.63972; -122.12833座標: 北緯47度38分23秒 西経122度7分42秒 / 北緯47.63972度 西経122.12833度 / 47.63972; -122.12833
設立1975年4月4日
業種情報・通信業
法人番号8700150090374
事業内容情報技術の開発・販売
代表者サティア・ナデラ(CEO兼会長)
売上高1,983億米ドル(2022年)
営業利益834億米ドル(2022年)
純利益727億米ドル(2022年)
総資産3,648億米ドル(2022年)
従業員数221,000名(2022年)
決算期6月30日
主要株主.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
スティーブ・バルマー 3.99%
ビル・ゲイツ 3.95%
主要子会社
マイクロソフト・キャピタル・グループLLC 100%
マイクロソフト・ライセンシングGP 99%
マイクロソフト・リージョナル・セールス・コーポレーション 100%
MOLコーポレーション 100%
関係する人物
ポール・アレン(共同創業者)
ビル・ゲイツ(共同創業者兼技術担当アドバイザー兼前会長
外部リンクwww.microsoft.com
特記事項:1975年にパートナーシップとして創業。1981年に設立。1986年にデラウェア州法人として再設立。1993年にワシントン州法人として現法人を再々設立。[注釈 1]
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マイクロソフト(英: Microsoft Corporation)は、アメリカ合衆国ワシントン州に本社を置く、ソフトウェアを開発、販売する会社である。1975年にビル・ゲイツとポール・アレンによって創業された[注釈 1]。1985年にパソコン用OSのWindowsを開発。1990年にWindows向けのオフィスソフトとしてMicrosoft Officeを販売。1995年にウェブブラウザのInternet Explorerをリリース。2001年に家庭用ゲーム機のXboxを販売。2009年に検索エンジンのBingを設立。2010年にクラウドサービスとしてAzureを開始。2015年7月15日Microsoft Edgeを開発、そして展開。2024年2月時点での時価総額が世界1位[5]。
歴史詳細は「マイクロソフトの歴史」を参照
社名はマイクロコンピュータとソフトウェアに由来する[6]。当初は世に登場して間もない8ビットのマイクロプロセッサを搭載したコンピュータ「アルテア (Altair)」上で動く、BASICインタプリタ「Altair BASIC」の開発・販売で成功を収めた。
当初はネイティブ環境(カセットテープベースでオペレーティングシステムはなくROM-BASICに近い環境のもの)だったが、CP/Mが標準プラットフォームとなると、CP/MベースのMBASICを発表する。グラフィックス機能をつけたGBASIC、16ビット用のGWBASICが登場する。なお、GWのWは16ビット(=2バイト)を意味するダブルバイト/ワードだとされている。
ついでIBM PC上のオペレーティングシステムの開発を請け負い、シアトルコンピュータプロダクツの86-DOSの権利を購入し改良、PC DOS(自社ブランドでMS-DOS)を開発。IBM PCとそれら互換機の普及とともにオペレーティングシステムの需要も伸び、現在に至る地固めを確かなものとした。86-DOSの開発者ティム・パターソンはのちにマイクロソフトに引き抜かれMS-DOSの開発メインスタッフとなる。
マイクロソフトはMS-DOSを改良するほかに各機種用のBASICやC言語・FORTRANなどのコンパイラの開発を手がける一方、Altoを参考にしたMS-DOS上で動作するGUIシステム「Windows」の開発に注力した。
またビジネス向けの表計算ソフトやワープロソフトなどを開発し、先行する他社と「買収か潰すか、どっちか」とまで言われた熾烈な競争を繰り広げ、各方面で賛否を仰ぎながらも多方面のビジネスソフトでシェアを独占するに至った。
黎明期の1970年代後半から1980年代前半には西和彦がビル・ゲイツと意気投合し、マイクロソフトの副社長を務めるなどした。このことはマイクロソフトの日本進出に大きく作用している。アスキーはMSXやAXの共同展開や日本法人設立までの日本代理店(実際は子会社のアスキーマイクロソフト株式会社が担当)を務めるなど、大きな貢献をしていた。しかし1986年にマイクロソフトが100%出資の日本法人(マイクロソフト株式会社)をアスキーから古川享や成毛眞ら一部の社員が独立する形で設立したため、提携を解消した。
OSに関しては、MS-DOSの後継として、IBMと共同でOS/2の開発を行いつつも、独自に後のWindowsにつながるOSの開発も行っていた。その後IBMと袂を分かち、IBMがOS/2を、マイクロソフトがWindowsを、それぞれ開発することとなった。Windowsは当初はMS-DOS上で動くものであったが、1995年に、WindowsとMS-DOSを一体化し、GUIを改良したWindows 95を発売した。これと並行して、デヴィッド・カトラー率いるDECの開発チームを移籍させるなどしてWindows NTを開発した。