マイア・サンドゥ
Maia Sandu
2021年10月
モルドバ
第6代大統領
任期2020年12月24日 – 現職
モルドバ
第13代首相
任期2019年6月8日 – 2019年11月14日
元首イゴル・ドドン
モルドバ
モルドバ国会議員
任期2019年2月24日 – 2019年7月8日
任期2014年11月30日 – 2015年2月18日
モルドバ
教育相
任期2012年7月24日 – 2015年7月30日
元首ニコラエ・ティモフティ
首相ヴラド・フィラト
ユリエ・レアンカ
マイア・サンドゥ(ルーマニア語: Maia Sandu, ルーマニア語発音: [?maja ?sandu] 1972年5月24日[2] - )は、モルドバの政治家。2020年12月24日から同国の大統領(第6代)を務めている。
ルーマニアの市民権も所持しており[3]、母語のルーマニア語の他にロシア語、スペイン語、英語を話す。
なお、サンドゥはモルドバでは初の女性大統領[4]で、NIS諸国では4人目、東ヨーロッパにおいては5人目の女性大統領となった存在でもある。またはマヤ・サンドゥとも表記される[5]。 1972年5月24日、モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国(ソビエト連邦)のファレシュティ郡
経歴
前半生
1989年から1994年までモルドバ経済研究アカデミー(英語版)(ASEM)で経営学を専攻し、1995年から1998年までキシナウの行政アカデミー(ルーマニア語版)(AAP)で国際関係論を専攻した。
2010年、ハーバード大学のケネディスクールを卒業。2010年から2012年までワシントンD.C.にある世界銀行の常務理事顧問を務めた。 彼女は同国の政党「行動と連帯党
大統領選出前の経歴
2019年11月12日にモルドバ共和国社会党(英語版)(PSRM)が提出した動議を受けた不信任投票で101人の国会議員のうち63人(PSRMとモルドバ民主党(英語版)(PDM)の議員)が賛成した事でサンドゥ政権は崩壊した[10][11]。
傍らで、サンドゥは2012年から2015年まで教育大臣(英語版)、2014年から2015年まで国会議員を務め、その後一度辞職している。しかし2019年には国会議員として復帰を果たした[12][13][14]。 2016年、彼女は、20年振りとなる直接選挙による大統領選
大統領選における経歴
しかし、その際の選挙戦で当人は親露派のPSRM候補イゴル・ドドンに48%対52%の差で敗れ去った。だが、サンドゥは4年後の大統領選(英語版)へ立候補者として再び足を踏み入れた。そこにおいてもドドンとの再戦になるものの、この時の選挙戦では58%対42%と大幅の差をつけて勝利し、見事雪辱を果たすことになった。
2012年から2015年までモルドバの教育大臣を務め、2015年7月23日にモルドバ自由民主党(英語版)からナタリア・ゲルマンとキリル・ガブリチ(英語版)の後任の次期首相候補とされた[15]。
新たな親欧州政党連合から候補指名された翌日、サンドゥは受諾の条件としてモルドバ国立銀行(英語版)総裁のドリン・ドラグアヌ(英語版)と検事総長(英語版)のコルネリウ・ギュリン(ルーマニア語版)の辞任を公約とする事を求めた[16]。 最終的にヴァレリウ・ストレレツ(英語版)がサンドゥを退けモルドバ大統領から首相指名された。
2015年12月23日、彼女は「 In /pas/ cu Maia Sandu」(マイア・サンドゥに歩調を合わせて[要出典])という政治団体を立ち上げ、後に「Partidul Ac?iune ?i Solidaritate」(行動と連帯党)という政党になった[17][18]。
2016年のモルドバ大統領選挙ではサンドゥは親ヨーロッパ派の候補者で、出馬・投票に臨んだ2人の候補者のうちのひとりであった[16]。
2019年のいくつかの世論調査によれば、サンドゥはモルドバで最も信頼されている3人の政治家の中にランクインしている[19][20][21]。