ポール・ワーティコ
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ポール・ワーティコ
Paul Wertico
生誕 (1953-01-05)
1953年1月5日(71歳)
出身地 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
ジャンルジャズフュージョンロック
職業ミュージシャン、教育者、音楽プロデューサー
担当楽器ドラム、パーカッション
活動期間1968年 -
共同作業者パット・メセニー・グループ
マービン
SBB
ワーティコ、ケイン&グレイ
公式サイト ⇒www.paulwertico.com

ポール・ワーティコ(Paul Wertico、1953年1月5日 - 、イリノイ州シカゴ生まれ)は、アメリカのドラマー。1983年から2001年までパット・メセニー・グループのメンバーだったことで知られ[1]、家族ともっと多く時間を過ごせるよう、また、他の音楽的興味を追求するためにグループを脱退した。
略歴
グループ

パット・メセニーは、ワーティコとベーシストのスティーヴ・ロドビーを含むサイモン・アンド・バード・グループを聴いた後、両名を自分のバンドへと招き入れた。メセニーと過ごした時間の中で、ワーティコは10枚のアルバムと4本のビデオで演奏し、テレビに出演し、世界中をツアーした。彼は、7つのグラミー賞(「ベスト・ジャズ・フュージョン・パフォーマンス」、「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・パフォーマンス」、「ベスト・ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス」)、雑誌投票を受賞し、いくつかのゴールドレコードを受けた。

彼は、ジョン・モウルダーとエリック・ホッフバーグと共にポール・ワーティコ・トリオを結成し、また、ラリー・コリエルカート・エリングジェフ・バーリンと共演した。2000年から2007年まで、彼はプラチナレコードを獲得したポーランドのプログレッシブ・ロック・バンドであるSBBのメンバーを務めた。ワーティコは、2017年にコリエルが亡くなるまで、ラリー・コリエル・パワー・トリオのメンバーを務めている。

2009年、ワーティコはイスラエルのミュージシャン、ダニー・マルコビッチとダニ・ラビンと共にジャズ・ロック・グループであるマービンのメンバーとなった。このグループは、ポール・ワーティコズ・ミッド=イースト/ミッド・ウェスト・アライエンスとしても演奏し、『シカゴ・トリビューン』『DRUM!』『Modern Drummer』の各紙誌から称賛を受けたシカゴ・セッションズ・レーベルのためのアルバムを録音している。

ワーティコは、マルチ・インストゥルメンタリストのデヴィッド・ケインとラリー・グレイと共に、ワーティコ、ケイン&グレイを結成した。彼らのデビュー・アルバム『Sound Portraits』(2013年)は、第13回インデペンデント・ミュージック・アワードでベスト・ライブ・パフォーマンス・アルバムを受賞し、4枚目のアルバム『Realization』(2015年)は、第15回インデペンデント・ミュージック・アワードでベスト・ライブ・パフォーマンス・アルバムとベスト・ロング・フォーム・ビデオにノミネートされた。
参加作品やその他の作品

彼はフランク・カタラーノ、エディ・ハリス、リー・コニッツ、デイヴ・リーブマンサム・リヴァースボブ・ミンツァーテリー・ギブスバディ・デフランコ、ロスコー・ミッチェル、エヴァン・パーカー、ジェイ・マクシャン、ハービー・マンランディ・ブレッカージェリー・グッドマンラムゼイ・ルイスと共演してきた。

ポール・ウィンターの1990年のグラミー賞にノミネートされたアルバム『アース?地球賛歌』で、ドラムを演奏した。また、ボーカリストであるカート・エリングの1995年のグラミー賞にノミネートされたアルバム『クローズ・ユア・アイズ』、エリングの1997年のグラミー賞にノミネートされたアルバム『ザ・メッセンジャー』、1998年のグラミー賞にノミネートされたアルバム『ジス・タイム・イッツ・ラヴ』、2003年のグラミー賞にノミネートされたアルバム『Man in the Air』でも演奏している。

2010年から2012年まで、冠ラジオ番組である『Paul Wertico's Wild World of Jazz』でホストを務めた。クラウドソースのテレビ・ビデオ・シリーズ『Inventing the Future』の音楽ディレクターとして、ワーティコは全米テレビ芸術科学アカデミーによって、中西部における「Outstanding Achievement In Interactivity(インタラクティブ性の卓越した業績)」部門で、2012-2013年のエミー賞にノミネートされた。

彼は「ポール・ワーティコ・シグネチャー・ドラム・スティック」を製造するプロマーク製のTUBZの開発者となっている。
教育

ワーティコは教育の分野でも非常に活発に動いている。彼は45年間、個人的にドラムを教えることに加えて、シカゴのルーズベルト大学のシカゴ舞台芸術大学でジャズ研究の准教授を務めており[2]、学内のジャズ&コンテンポラリー・ミュージック研究プログラムを5年間率いていた。イリノイ州エバンストンにあるノースウェスタン大学のビーネン音楽院ではパーカッションとジャズ研究プログラムの学部に16年間勤務し、シカゴのブルーム・スクール・オブ・ジャズで数年間教えた。

『Modern Drummer』『DRUM!』『Drums & Drumming』『Drum Tracks』『DownBeat』の各誌および「Musician.com」で教育記事を執筆している。『Modern Drummer』では諮問委員会のメンバーを務め、彼らのプロ・パネリストの1人でもある。

ワーティコは、シカゴのジャズ研究所の諮問委員会と教育委員会の両方を務めるだけでなく、レコーディング・アカデミー・シカゴ支部の理事会で5つの任期を務めた。

ワーティコは、ニューヨークのドラマーズ・コレクティヴ、ロサンゼルスのパーカッション・インスティテュード・オブ・テクノロジー、ノーステキサス州立大学、マイアミ大学など、米国および世界中の大学、高校、音楽店で数多くのドラム・クリニックとマスタークラスを実施してきた。そこには、イギリスのミュージシャンズ・インスティテュート、ドイツのドラマーズ・インスティテュート、イタリアのムジカ大学、アルゼンチンのエスクエラ・デ・ムシカ・デ・ブエノスアイレス、イスラエルのリモン・ジャズ・スクールも含まれている。

カナダのケープブレトン国際ドラム・フェスティバルやモントリオール・ドラム・フェスト、ウルグアイのモンテビデオ・ドラム・フェスティバル、ポーランドのクロスドラム国際パーカッシブ・アーツ・フェスティバル、アルゼンチンのメンドーサ国際ドラム・フェスティバル、ギリシャのパーカッション・キャンプ国際パーカッション・フェスティバル、ベネズエラの第1回国際ドラマー・ウィーク、ニュージーランド、チリ、メキシコ、ロシア、ハンガリー、フランス、スウェーデン、アイルランド、スペインの学校やフェスティバルなど、数多くの国際ドラム・フェスティバルでクリニック担当/ソリストとして活躍している。


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