ポール・ワトソン
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ポール・フランクリン・ワトソン

生誕 (1950-12-02) 1950年12月2日(73歳)
カナダ オンタリオ州トロント
国籍 カナダ
アメリカ合衆国
職業テロリスト
団体(グリーンピース→)
シーシェパード
罪名傷害威力業務妨害器物損壊
犯罪者現況国際指名手配
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ポール・フランクリン・デイブ・ワトソン(: Paul Franklin Dave Watson、1950年12月2日 - )は、カナダ環境活動家グリーンピースの元メンバーで、反捕鯨団体「シーシェパード」の設立者。日本調査捕鯨を妨害した容疑で海上保安庁から国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配[1]。2012年5月13日、コスタリカのサメ漁船に対する航行妨害の容疑で出ていた逮捕状に基づき、フランクフルトでドイツ当局に逮捕されたが[2][3]保釈中に逃亡した[4]

トロントに生まれたワトソンは、1969年シエラクラブ核実験反対運動に参加した。グリーンピースにおいて影響力の強い初期メンバーであった彼は、そこで船上員や操縦士としての任務を担った。後、グリーンピースの理事会に加えられたが、その「非暴力」の理念に反感を持ち、より攻撃的な活動を求めた結果、1977年には降ろされた。やがてグリーンピースそのものから脱会すると、同年、彼は反捕鯨団体「シーシェパード」を設立した[5]。ワトソンは、菜食主義、能動的人口管理を推進しており、人間より動物を重視するという思想を広めようとしている[6]
生い立ち

1950年、12月2日、ポール・ワトソンはトロントで、アントニー・ジョセフ・ワトソンとアンナマリー・ラーソンとの間に生まれ、ニューブランズウィック州セント・アンドリューズで育った。1967年モントリオール万国博覧会のツアーガイドとして働いた後、貨物列車で西のバンクーバーへと移住[5]

1968年、そして1970年代初頭には、彼はカナダ沿岸警備隊に入隊し、気候観測船や救援用ホバークラフト上、あるいはブイの監視役などとして働いた。1969年にはバンクーバーのノルウェー領事館における商業航海人となり、載貨容積3万5千トンのノルウェー船「ブリス(Bris)」の甲板員となった[5]
活動家として
グリーンピース時代詳細は「グリーンピース_(NGO)」を参照

1969年10月、ワトソンは自然保護団体シエラクラブの、アムチトカ島に於ける核実験への反対運動に参加した。この運動の結果、カナダのバンクーバーに誕生したのが、「波を立てるな委員会(Don't Make a Wave Committee)」である。この団体は後にグリーンピースへと発展していった[7][5]。ワトソンは1971年「グリーンピース2号(Greenpeace Too!)」の船上員となった後[8]1972年には同組織の「アストラル号(Astral)」の船長を務めた[5]。その後、1970年代半ばまで、グリーンピースで働くこととなるが、1975年の6月、ソ連の捕鯨妨害活動の最中、彼の人生を変える出来事が起こったらしい[9] 。なお、グリーンピースはワトソンを「初期の影響を持つメンバーではあったが、彼の主張とは異なり、グリーンピースの創立者ではなかった」としている[10]。ポール・ワトソンは、しかし、依然として自分がグリーンピース及びグリーンピース・インターナショナル創立者であったと主張し続けている[11][12][13]

1977年、賛成11票、反対1票(この1票はワトソン自身によるものである)[14][15] でワトソンはグリーンピースの理事会から降ろされた。それは、彼の目立ちたがりで傲慢な性格により組織内の調和が乱れるため、次期代表のパトリック・ムーアに反対したため、そしてニューファンドランド州での抗議活動中に取った彼の行動(アザラシ狩り漁師から棍棒を取り上げ、アザラシの生皮と共に海へ投げ捨てた)がグリーンピースの理念に反するのにもかかわらず、彼がそれを謝罪しようとしないため、という3つの理由によるものであった[16]。非暴力的抗議活動に限界を感じたワトソンは、グリーンピースを離脱。この行動は、グリーンピースから「反逆」として受け止められた[17][18]
シーシェパード時代詳細は「シーシェパード」を参照

1977年、グリーンピースを脱退したワトソンは、シーシェパードの前身となる「アースフォース(Earth Force Society)」を結成した[19]1978年12月、英国の作家で動物基金の代表者でもあるクリーブランド・アモリー(Cleveland Amory)から支援を得て、シーシェパード号を購入、本格的な活動を開始した[20]1979年3月、カナダセントローレンス湾においてアザラシ狩船に対して、シーシェパードとして初の抗議活動を行った[21][22]。同年6月、海賊捕鯨船シエラ号(Sierra)に[23]、船首に100トンのコンクリート塊を取り付けたシーシェパード号で体当たりし、航行不能に陥らせた[24]。この事件の後、ワトソンは自らをキャプテン(船長)と呼ぶようになったが、船長の資格を得たことはない[25]。ワトソンらの抗議行動は、捕鯨船の甲板へ物を投げる、異物をスクリューに絡ませようとする、捕鯨船への侵入[26]アイスランド近辺における自沈など[27]、過激なものであり、シーシェパードはすぐに最も攻撃的な環境保護団体の一つとして知られるようになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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