ポール・ロデューカ
Paul Lo Ducaロサンゼルス・ドジャースでの現役時代
(2004年5月16日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン
生年月日 (1972-04-12) 1972年4月12日(52歳)
身長
体重5' 9" =約175.3 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り1993年 MLBドラフト25巡目
初出場1998年6月21日
最終出場2008年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
アポロ高等学校
ポール・アンソニー・ロデューカ(Paul Anthony Lo Duca, 1972年4月12日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 1993年のMLBドラフト25巡目(全体690位)でロサンゼルス・ドジャースから指名され、プロ入り。 1998年の6月にメジャーデビュー。そのころレギュラーとして活躍していたマイク・ピアッツァの後釜として期待されていたが、初試合は遅かった。 2001年には打率.320、25本塁打、90打点の好成績を記録し開花した。 2002年は本塁打が減少。打率も落ちた。しかしリードの巧さを買われ投手陣を支えた。 2003年のオフには、ラモン・ヘルナンデスをマーク・コッツェイとの交換でサンディエゴ・パドレスに放出したため、新たな正捕手候補を探していたオークランド・アスレチックスへのトレード話が浮上。ジャーメイン・ダイと金銭という条件だったが、ドジャースはこれを断っている[1]。 2004年のシーズン途中には急遽、フロリダ・マーリンズにトレード。ロデューカを気に入っていた当時の監督であるジム・トレーシーはフロントに文句を言い、以後監督とフロントの確執にまで発展した。同年オフに3年1800万ドルで契約延長。 2005年は5月に打率.244と不振に陥ったものの、打率.283を記録。ニューヨーク・メッツ時代 2006年は、マイナーリーガーのギャビー・ヘルナンデス
経歴
(2007年9月15日)
2007年オフに公表されたミッチェル報告書において、薬物の使用、取引に関係のある選手としてロデューカの名前があげられた。同報告書によると、ロデューカはメッツの元職員カーク・ラドムスキをトッド・ハンドリーからドジャース在籍時に紹介され、ラドムスキから薬物を購入していたほか、アダム・リグス、マット・ハージェスら複数の選手にラドムスキを紹介していた。また、1999年にドジャース傘下のマイナーチームでプレーしていた時に、ジェフ・ウィリアムス、ハージェスら当時のチームメイトたちと共に薬物を使用していた。翌2008年2月16日、ロデューカはミッチェル報告書に関する声明を発表し、過去の判断の誤りについて謝罪したが、同報告書の内容についてより詳しい説明をすることは拒否した。ワシントン・ナショナルズ時代
(2008年4月22日)
2008年からは1年500万ドルで契約したナショナルズでプレーすることになった。だが、7月31日に自由契約となった。8月8日に古巣のマーリンズとマイナー契約を結んだ[2]。
2009年はTVGネットワークで解説者をし、競馬の第141回ベルモントステークスでも解説を務めた。