ポール・マホーム
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ポール・マホーム
Paul Maholm
ピッツバーツ・パイレーツ時代
(2010年6月18日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ミシシッピ州グリーンウッド
生年月日 (1982-06-25) 1982年6月25日(41歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り2003年 ドラフト1巡目(全体8位)でピッツバーグ・パイレーツから指名
初出場2005年8月30日 ミルウォーキー・ブルワーズ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ジャーマンタウン高等学校

ミシシッピ州立大学

ピッツバーグ・パイレーツ (2005 - 2011)

シカゴ・カブス (2012)

アトランタ・ブレーブス (2012 - 2013)

ロサンゼルス・ドジャース (2014)

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ポール・ガーナー・マホーム(Paul Gurner Maholm, 1982年6月25日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州グリーンウッド出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

発音としては、Mah・HALL・uhmなので、「マホーラム」のが近い。選手名鑑によっては、「マホーラム」で掲載されているものもある。
経歴
プロ入り前

2000年MLBドラフトミネソタ・ツインズから17巡目(全体492位)指名されたが、契約せずミシシッピ州立大学へ進学。
パイレーツ時代

2003年MLBドラフトピッツバーグ・パイレーツから1巡目(全体8位)指名され[1]、7月9日に契約[2]。A-級ウィリアムズポート・クロスカッターズで8試合に登板し、2勝1敗・防御率1.83だった。

2004年はA+級リンチバーグ・ヒルキャッツで8試合に登板し、1勝3敗・防御率1.84だった。7月からはルーキー級ガルフ・コーストリーグ・パイレーツでプレー。3試合に登板後、8月にA級ヒッコリー・クロウダッズへ昇格し、1試合に登板した。

2005年はAA級アルトゥーナ・カーブで開幕を迎え、16試合に登板。6勝2敗・防御率3.20だった。7月にはフューチャーズゲームに選出され[3]、AAA級インディアナポリス・インディアンスへ昇格。6試合に登板し、1勝1敗、防御率3.52だった。8月27日にパイレーツとメジャー契約を結び[4]8月30日ミルウォーキー・ブルワーズ戦で先発起用されメジャーデビュー。8回を4安打無失点に抑え、メジャー初勝利を挙げた[5]。この年は6試合に登板し、3勝1敗、防御率2.18だった。

2006年2月24日にパイレーツと1年契約に合意し、開幕ロースター入りした。この年は先発ローテ3番手として30試合に登板し、8勝10敗、防御率4.76だった。

2007年3月7日にパイレーツと1年契約に合意。4月24日ヒューストン・アストロズ戦ではメジャー初完封を記録した[6]。この年は29試合に登板し、自身初の二桁勝利となる10勝を挙げたが、チーム最多の15敗を喫し、防御率は5.02だった。

2008年3月10日にパイレーツと1年契約に合意。この年は9勝に終わり、2年連続の2桁勝利はならなかったが、登板した全31試合で5回以上を投げ、投球回は200の大台を上回った。チーム防御率が5.46とリーグワーストとなるなど、投手陣が総崩れとなったが、急成長したマホームに対し、ジョン・ラッセル監督は「ポールはウチの投手陣で最も成長しているよ。グラウンドだけでなく、私生活から先発ごとに準備をしているのも素晴らしい」と絶賛した[7]

2009年1月30日に総額1450万ドルの3年契約(2012年・975万ドルの球団オプション付き)を結んだ[8][9]。この年は31試合に登板し、8勝9敗・防御率4.44だった。

2010年はチーム最多の32試合に先発し、9勝15敗・防御率5.10だった。

2011年は例年通り先発ローテーションに定着していたが、8月19日に左肩の故障で15日間の故障者リスト入りし、9月6日に60日間の故障者リストへ異動した[10]。この年は26試合に登板したが、6勝(14敗)にとどまり、防御率は3.66だった。複数年契約を結んだ2009年からの3年間は合計で89試合に登板したが、23勝38敗と大きく負け越し、防御率は4.43と期待を大きく裏切ったため、オフの10月31日に2012年の球団オプションを破棄され、FAとなった[11]
カブス時代

2012年1月10日シカゴ・カブスと475万ドルの1年契約(2013年・650万ドルのオプション付き)を結んだ[12][13]。開幕後は21試合に登板し、9勝6敗、防御率3.74だった。
ブレーブス時代

2012年7月31日アローディス・ビスカイーノジェイ・チャップマンとのトレードで、リード・ジョンソンと共にアトランタ・ブレーブスへ移籍した[14]。移籍後は11試合に登板し、4勝5敗、防御率3.54だった。この年は5年ぶりに二桁勝利となる自己最多の13勝(11敗)を挙げた。オフの10月30日に2013年・650万ドルの球団オプションが行使された[15]

2013年は開幕後20試合に登板していたが、7月22日に左手首の故障で15日間の故障者リスト入りした[16]。8月22日復帰。この年は26試合に登板し、10勝11敗、防御率4.41だった。オフの10月31日にFAとなった。
ドジャース時代

2014年2月8日ロサンゼルス・ドジャースと150万ドル+出来高の1年契約に合意した[17][18]。開幕後は先発として登板していたが、ドジャースにはクレイトン・カーショウザック・グレインキーダン・ヘイレンジョシュ・ベケット柳賢振とリーグ屈指の先発陣を擁していたため、5月からリリーフに転向。


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