ポール・ギャリコ
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ポール・ギャリコ
Paul Gallico
1937年、カール・ヴァン・ヴェクテンによって撮影
誕生 (1897-07-26) 1897年7月26日
ニューヨーク
死没 (1976-07-15) 1976年7月15日(78歳没)
アンティーブ
職業小説家
署名
ウィキポータル 文学
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ポール・ギャリコ(Paul Gallico, 1897年7月26日 - 1976年7月15日)は、アメリカ小説家イタリア系)。

ニューヨーク生まれ。1919年コロンビア大学を卒業。彼の作品の多くは映画の原作に使われて、成功を収めてきた。1941年に発表した『スノーグース』もその一つで、これは彼の決定的に重要な作品の一つであり、また小説『ポセイドン・アドベンチャー』もハリウッド映画化されている。
生涯

ニューヨーク市生まれ。彼の父親は、イタリア系で、母親オーストリアからの移民である。両親は、1895年に移民としてニューヨークにやってきた。

ギャリコが初めて名前を知られるようになったのは、1920年代のことで、スポーツライター、スポーツコラムニストとしてであった。彼はニューヨーク・デイリーニュースのスポーツ欄の編集者をしていた。彼のキャリアは、プロボクサージャック・デンプシーとのインタビュー記事で始まった。彼はデンプシーに自分とスパーリングしないかと問い、ヘビー級チャンピオンのパンチがどんなに重いか身をもって体験したことを書いたのである。彼はその後、ディズィー・ディーンの投げる速球を受けたり、ボビー・ジョーンズゴルフしたりということを続けた。彼は国民的な人気記者となり、アメリカで最も高給取りのスポーツ記者といわれるようになる。彼は、ゴールデングローブ・アマチュア・ボクシング選手権も始めている。1942年、『ルー・ゲーリッグ ヤンキースの誇り』は映画『打撃王』の原作にされ、スポーツ映画の古典ともいえる。

1930年代の後半、スポーツ記事を断念して、小説に向かい、雑誌向けの短編でまたもや大成功を収めた。多くの作品はサタデー・イブニング・ポストの小説読み物の別誌に掲載された。『スノーグース』を含むその大半の作品は、これらの雑誌向け短編小説を書き足したものである。短編「スノーグース」は、1940年にサタデー・イブニングポストに発表され、1941年オー・ヘンリー賞を受賞した。
人物

ギャリコはかつて、ニューヨーク・マガジンに語ったことがある。「私は、薄汚い物書きさ。どうみても、作家って柄じゃない。私は物語を語るのが好きなだけで、私の書いた本はみんなお話を語っているだけだよ。.... もし私が2,000年前に生きてたとしたら、洞窟住居を渡り歩いて、言うんだろうな。『やあ、入っていいか?腹が減っているんだ。食べるものをくれよ。そしたら、代わりに面白い話をしてやるよ。昔々、二匹の猿がいたとさ』といった具合で、彼らに2人の洞窟に住んでたひとの話をしてやるのさ。」
代表作

『スノーグース
(英語版)』:人嫌いの男と少女との間の純情の関係を、傷ついた一羽の鳥を媒介として語る、叙情的な短編。最も有名。

1975年、イギリスのプログレッシブ・ロック・バンドのキャメルが、ギャリコの「スノーグース」を基に、コンセプト・アルバム「白雁(スノー・グース)(Music Inspired by The Snow Goose)」を発表。


『ジェニイ』猫になった主人公が繰り広げるファンタジー

ポセイドン・アドベンチャー』:1972年にアメリカで映画化された。(映画は日本国内でも公開され広く知られてはいるが、この映画の原作者がギャリコであることを知らない者も多い。)

『雪のひとひら』(Snowflake):雪の発生から消滅までの過程を、人間(女性)の一生になぞられて比喩的に示した短編(中編)。卓抜な比喩が見事で、代表作の一つと見なされる。

『幽霊が多すぎる』ギャリコ作品で珍しい推理小説だが、悪人が出ない点がギャリコらしい。

トンデモネズミ大活躍』:ウサギのような耳、カンガルーのような後足を持ち、尻尾のない陶製のネズミ(つまり、元来生物ではない)「トンデモネズミ」が、突然生を受けたイギリスの田舎町タニゾコドンからマン島を目指す冒険旅行小説(児童文学)。日本語版は岩波書店より1970年7月20日刊行。翻訳は作家・詩人の矢川澄子。原題の「マンクス・マウス」(マン島ネズミ)をあえて「トンデモネズミ」と訳したのは翻訳者の矢川である。(ちなみに、"マンクス・キャット"というは実在し、「トンデモネズミ大活躍」にも登場するが、"Manx"を「トンデモ」と訳した関係上、「トンデモネコ」という名前で登場する)。この作品は日本でアニメ化もされた(1979年6月30日フジテレビ系、製作:日本アニメーション)。

『7つの人形の恋物語』ミュージカル『リリー』の原作。日本を含め世界中で幾度も映像・舞台化されている、屈折した愛情劇。

『ハイラム氏の大冒険』(新装版ではハイラム・ホリデーの大冒険と改題)第二次世界大戦直前、人の良いホリデー氏が思わぬ事件に巻き込まれる。

『ハリスおばさんシリーズ』面倒見のよい掃除婦のハリスおばさんが、パリニューヨークモスクワ、果ては国会にまで旋風を巻き起こす(第一作目の「ハリスおばさんパリへ行く」は2022年に「ミセス・ハリス、パリへ行く」のタイトルで〔劇場公開用の映画として〕映画化された [1])。

『猫語の教科書』人間の家を「乗っ取った」猫が、いかに人間の家に入り込み人間を猫に奉仕させるようにしつけるか、というノウハウを語る。その猫が書いた本、という体裁の作品。

邦訳

『七つの人形の恋物語』

大島辰雄
河出新書、1955

矢川澄子訳 角川文庫、1978 


『ハリス夫人パリへ行く』亀山竜樹講談社 1967 のち文庫「ハリスおばさんパリへ行く」


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