ポール・ガスコイン
ガスコイン(2006年4月)
名前
本名ポール・ジョン・ガスコイン
Paul John Gascoigne
愛称ガッザ
ラテン文字Paul Gascoigne
基本情報
国籍 イングランド
生年月日 (1967-05-27) 1967年5月27日(57歳)
出身地ゲイツヘッド
身長178cm
体重74kg
選手情報
ポジションMF
利き足右足
ユース
1980-1985 ニューカッスル・ユナイテッド
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1985-1988 ニューカッスル・ユナイテッド 92 (21)
1988-1992 トッテナム・ホットスパー 92 (19)
1992-1995 ラツィオ 43 (6)
1995-1998 レンジャーズ 74 (30)
1998-2000 ミドルズブラ 41 (4)
2000-2002 エヴァートン 32 (1)
2002 バーンリー 6 (0)
2003 甘粛天馬
ポール・ガスコイン(Paul John Gascoigne, 1967年5月27日 - )は、イングランドの元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(攻撃的MF)。愛称は「ガッザ」 (Gazza)[注 1]。
太目の体型ながら高いドリブルテクニックとパスセンス[3][4][5]の持ち主であり、愛嬌のあるキャラクターで1990年代にはイギリスの国民的英雄と呼ばれ人気を集めた[6]。しかし、その一方で公序良俗に反するような言動、飲酒癖やうつ病にまつわるトラブルを頻繁に引き起こすことでも知られ[7][8]、引退後もしばしばメディアを賑わしている[9]。 タインアンドウィア州ゲイツヘッドで煉瓦職人の父と母の間に長男として生まれた。ガスコインという姓はフランス[10]南部のガスコーニュ地方に由来し、本名の「ポール・ジョン」とは母親がビートルズのファンであり、ポール・マッカートニーとジョン・レノンの名前に因んで名づけられた[11]。幼少の頃からサッカーに親しみ地元のサッカークラブであるニューカッスル・ユナイテッドFCのサポーターであると共に、オランダのヨハン・クライフやブラジルのペレのファンだった[12]。 ゲイツヘッド・ボーイズに在籍していた12歳の頃からサッカークラブのスカウトの関心を集め、イプスウィッチ・タウン、ミドルズブラ、サウサンプトンのテストを受けたがいずれも不合格に終わり[13]、1980年にニューカッスル・ユナイテッドの学生会員となった[13]。毎週火曜日の練習に参加しながら学校に通う日々を送っていたが、1982年8月、当時のイングランド代表のスター選手であるケビン・キーガンがクラブに入団した際には、キーガンの雑用係を務めていた[14]。 1983年5月、16歳の誕生日に週給25ポンドの2年契約でニューカッスルと練習生契約を結んだ[2]。ユースチームでは直ぐに頭角を現しチームの成績も好調だったが、この当時から太目の体型だった。指導者からは体重の事や私生活のトラブルの事でたびたび叱責を受けており、そのストレス発散のために過食を繰り返していた[15]が、正規の練習の後に減量のためのランニングを課せられていた[15]。 1984年6月、トップチームの監督にジャック・チャールトンが就任すると、更なる減量と食事制限を課し[16]、ユースチームの主将に任命された[16]。同時期にリザーブチームに昇格を果たすと、1985年3月からはトップチームの遠征に帯同するようになり、同年4月13日のクイーンズパーク・レンジャーズ戦で途中交代からリーグデビューを果たした[17]。一方で、ユースチームの主将として挑んだFAユースカップでは準決勝でバーミンガム・シティを下して決勝戦に駒を進め、決勝ではワトフォードを4-1で下し、1962年大会以来となる23年ぶり2回目の優勝に導いた[17]。この優勝の後にトップチームと週給120ポンドでプロ契約を結んだ[17]。 ニューカッスルではクリス・ワドルらとチームメイトとなり、デビューとなった1984-85シーズンは2試合の出場に終わったが、翌1985-86シーズンになると出場機会が増え、3年目の1986-87シーズンレギュラーに定着し24試合で5得点を挙げた。
生い立ち
クラブ経歴
ニューカッスル