ポール・オニール_(野球)
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ポール・オニール
Paul O'Neill
ニューヨーク・ヤンキースでの現役時代
(1996年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地オハイオ州コロンバス
生年月日 (1963-02-25) 1963年2月25日(61歳)
身長
体重6' 4" =約193 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション外野手
プロ入り1981年 ドラフト4巡目
初出場1985年9月3日
最終出場2001年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


シンシナティ・レッズ (1985 - 1992)

ニューヨーク・ヤンキース (1993 - 2001)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ポール・アンドリュー・オニール(Paul Andrew O'Neill, 1963年2月25日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州コロンバス出身の元プロ野球選手。左投左打。ポジションは外野手。背番号は21。愛称は"ヒート・アンド・ソウル"("Heart and soul")、"ウォーリアー"("Warrior")。
経歴
プロ入りとレッズ時代

1981年MLBドラフト4巡目(全体93位)でシンシナティ・レッズから指名され入団。

1985年9月3日にメジャーデビューを果たした。

1988年からレギュラーに定着した。

1990年ワールドシリーズ優勝に貢献した。

1991年は自己最多の28本塁打を記録した。しかし、長打を狙う傾向にあったため高打率は残せていなかった。
ヤンキース時代

1993年ニューヨーク・ヤンキースに移籍。移籍後は無理に長打を狙わず打撃の確実性が増し、6年連続で打率3割以上を記録した。

1994年には打率.359で首位打者を獲得した。不動の3番打者として、4度のワールドシリーズ制覇に貢献、1990年代後半のヤンキース黄金時代を支えた。

2001年11月2日にワールドシリーズ限りで現役を引退することを表明した。
引退後オニールのヤンキース在籍時の背番号「21」。
ニューヨーク・ヤンキースの永久欠番2022年指定。2011年、ヤンキースタジアムにて

引退後はYESネットワークで、主にヤンキース戦の解説者を務めている。2020年に起きた新型コロナウイルスの大流行においては、オハイオ州の自宅を改装して自らスタジオを作り、2年間はリモートで解説を行っていた。

2022年2月22日に背番号「21」がヤンキースの球団史上23人目となる永久欠番となることが発表された[1]。8月21日のブルージェイズとの「ポール・オニール・デー」で永久欠番表彰式が行われた。
人物

闘志を剥き出しにするプレースタイルで、凡退した時にはバットやヘルメットを叩きつけたり、審判に激しく抗議していた。それがヤンキースの選手に相応しくないと批判されたこともあったが、その熱い姿勢がファンから支持される要因ともなった[2]

レッズ時代の1989年7月5日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で右翼前を転がっていたボールを拾って送球せず、キックして一塁へ「送球」した。

ドラマーとしての一面も持ち、ヤンキース時代にバーニー・ウィリアムスジョン・ウェッテランドとクラブハウスで演奏を披露したこともあったという。
詳細情報
年度別打撃成績



































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